もはやURLはわからないのですが、ファッションブランドの會社に勤めていると云う人物のブログ記事を見たことがあります。その記事は青文字系衰退の経緯を當事者として説明していましたが、途中で様子がおかしくなっていました。
誰も彼も、ロリータやゴシックのブランドが生産を止めてしまった後になって、「好きだったのに残念」「密かに応援してた」と發言し始め、にわかに同士になったふりをするといいます。實際には応援していなかったから潰れたんでしょうが!と、筆者は憤っていました。
確かに、そうした発言の主たち皆が商品を買っていれば、その懐かしい大好きなブランドは存続したでしょう。ナンセンスな仮定です。でも、考えなくていいことを考えてしまうリアルなおもいが、液晶からもやもやと傳わるようでした。
些細なことですが、暗にも似たような覚えがあるからです。
子どもの時、ホームページの更新を止め、ひとまず凍結しておくことにしたことがありました。
するとなにもわたしのことをしらないはずのひとびとから、「応援してた」というメールが複数舞い込むではありませんか。「大好きだったサイトが閉鎖した。作品は優しくてかわいいし、サイトのデザインもセンスがよかったから、とても寂しい」という内容のブログをアップする物もおり、子どもの頃の暗はそれらを、冷めた気持ちで眺めて居ました。
するとなにもわたしのことをしらないはずのひとびとから、「応援してた」というメールが複数舞い込むではありませんか。「大好きだったサイトが閉鎖した。作品は優しくてかわいいし、サイトのデザインもセンスがよかったから、とても寂しい」という内容のブログをアップする物もおり、子どもの頃の暗はそれらを、冷めた気持ちで眺めて居ました。
そのことばを、どうして閉鎖するまえにくれなかったのか。
最後に、急に重い話になるようですが、ごくたまに有名人の自殺について話している者を見かけます。「自殺の決断なんて尊重できない」という者もいれば、一方で「でも、死後かわいそうがられてうれしい?」という者もいます。
上のような経験をした者としては、かわいそうがられたくない、という気持には共感するものがありますが、やはり両者とも、すべて終わったあとになって騒いでいるという點で不合理です。
あなたの大好きな者は、自殺することはなかったとしても、明日にも交通事故か脳溢血で死ぬかもしれないし、ネット上だけで知っているのなら尚更、儚い出逢いです。
上のような経験をした者としては、かわいそうがられたくない、という気持には共感するものがありますが、やはり両者とも、すべて終わったあとになって騒いでいるという點で不合理です。
あなたの大好きな者は、自殺することはなかったとしても、明日にも交通事故か脳溢血で死ぬかもしれないし、ネット上だけで知っているのなら尚更、儚い出逢いです。