ネットで鳥山明先生が「ドラゴンボールのにわか」と呼ばれています。
みんなの青春となった作品であるにもかかわらず、ファンにとって思い入れあるキャラやシーンを、一切忘れているからです。しかもこの作品は、商魂たくましい東映アニメーションがアニメ化を担當して䑓無しになったといわれ勝ちです。
亦、尾田栄一郎先生も同じように、ファンにがっかりされているのが見受けられます。わざわざ「キャラの名前とか誕生日とか心底どうでもいい」という本音を暴露してしまうため、見損なわれているのです。
漫画ではありませんが、松田聖子さん界隈も荒れています。本人がかつての聖子ちゃんヘアーを「この髪やだ!うちの母みたい!」と否定するからです。ファンは「恥ずかしいといってる聖子が恥ずかしいよ」ととても辛辣です。
暗は、だからファンが苦手です。
気持ちはわかりますが、推しの幸せではなく利己しかない發想はストーカーと云わざるを得ません。暗にとって、ストーカーの本質とは、相手を理想化する者のことで、必ずしも付き纏いや鬼電といったことではないからです。戀と云う對等な姿勢よりは、何方かと云うと親かお客様等、相手を支配しようとする姿勢です。
気持ちはわかりますが、推しの幸せではなく利己しかない發想はストーカーと云わざるを得ません。暗にとって、ストーカーの本質とは、相手を理想化する者のことで、必ずしも付き纏いや鬼電といったことではないからです。戀と云う對等な姿勢よりは、何方かと云うと親かお客様等、相手を支配しようとする姿勢です。
時が経ち、推しが漸くただの中年同士としての態度を見せてくれたと云うこともできるのに、お人形扱いするファンは病的だなと感じる気持ちもありつつ、一方で、單なる謙遜であっても、自己の否定は時と場を選ぶ必要があるのも確かです。
じぶんの作品を賈って呉れた相手に「まだまだ拙いですが」とか、「今回は自信作です(いままでのはダメです)」などとは、冗談でも口にできません。「へたです」「繪なんてかけない」という意味のことは、おなじくクリエイターしかいない場でだけ、發言することにしています。