正論許りの女性

もはや削除されてしまったとおもいますが、以前、女性自衛隊員が書いたというネットの記事を見かけたことがあります。それは、自身が男性の多い職場のなかで気づかされた、男女の考え方の相違について書いたものでした。

例えば女性自衛官には、みんなで妥協点を探さなければならないという發想がなく、いつも正論ばかり言ってしまう傾向がある、と記事は語ります
また、この前失敗したひとのために機會を譲ってあげるということもなく、「あんなひとよりわたしのほうが確實で早いのに!」と上官に抗議してしまうこともあるそうです。



些細なことですが、暗にも憶えがあります。
ある日、会議に出席した者達で手分けして、メールで済ませられない書類を先方に届けようとしていました。それは例年よりすこし遅れてしまっていたので、その場で書類を届けに出發しなければなりませんでした。
だれがだれに届けるか分担を相談しているなかで、ひとりの女性が書類を確認し、「あの、日付だけ漢数字で本文が半角数字になっています」と指摘したのです。
その場は沈黙し、「…それで?」という空気に包まれました。

書類の右上の日付は半角にし、本文の日付は漢数字にするのはビジネス文書の基本的なマナーで、全く間違っていません。それは抜きにして、おとななら、この女性は「わたしが半角数字の部分を直して印刷しておきます」ということまで云う可きでした。そして、そんなことをしている間に、全員が奇跡的に集まったこの會議という機會を逃すことになる、と云うことにも気づかなければいけません。
















さて、創作者に分かりやすい例は「着物警察」や「時代考証厨」でしょう。

https://toyokeizai.net/articles/-/259293

上の記事では、「着物警察」誕生の背景が推理されています。
縮小する和服業界の多くの企業は、60年代に着付け教室を開くなど、「高級路線」に舵を切りました。つまり、着物は教室に通わないと着ることができない、普段使いできないものとなったのがこの頃だということです。
筆者は、高級着物の企業が開く着付け教室で育った中高年と、現代の高級路線ではない着物を着る若者とは相容れないのだと説明しました。
「着物警察」の正体とは、「着付け教室世代」との分析です。
女性が企業の戦略に過ぎないにもかかわらず、“正しい”着付けに夢中になってしまった気持ちが、記事から生々しく伝わってきました。



さて、世間には『先生、黒板の字間違ってます』という子どものようなことを一生いいつづけたい、という決意を固めているおとなさえ、大変多いのではないかとおもいます。正論しか言えない女性たちが悪いというよりは、その女性の成し遂げたいことや、守りたいもの、笑顔にしたいものが、そこにはないのです。