このブログでは、オタクはクリエイターである、と繰り返してしまっています
でも、これはもちろん、絵をかかないひとを責め立てている訳ではありません
また、これは絵師だけでなくクリエイターみんなの悩みかもしれませんが、すきすぎる神がいて、その先生さえいればじぶんの人生は幸せだ、となることもあります。その上でわたし自身がさらに創作をしていく必要を感じないのです
それでもなお、なぜ絵をかいているのかと、ふとおもったので、今回はその理由をまとめてみようとおもいます
その理由というのはやはり、癒しを求めている、ということだとおもいます。暑いから青い絵をかく、というようなことばはオタクからよく聞きますよね
もっと高尚な例でいえば、恋に破れた自己の代わりに、主人公を自殺させる必要のあったゲーテのように、古今東西には救いを求めて、自殺や出家の代わりに創作をするひとが目立つのです
ことに、人形や絵本、マンガなど、子ども向けの分野は広いですよね
つまり、創作したいというひとのなかには、自覚がないかもしれませんが、子どもたちや、じぶんのインナーチャイルドの癒しのために表現したいというひとがいます
あのころには戻れないけど、同じような気持ちの若者がいたら聞いてほしい
子どものときからの課題に創作という形で向き合い、解決するまで進めない
もしじぶんの周りに不幸な子の幽霊がいっぱいいるのなら、作品で慰めたい
掘り返してみると、そんな神仏の供養にも似た気持ちに行きつくことがあるのです
それがわかったあとは、他人の指定が細かに行き渡ったオーダーメイドであっても、どスケベ二次創作であっても、わたしの作品には切なさが保たれ、内側から爽やかさが滲むようになりました
(プロレスごっこをしているあほな物を描いたつもりなのですが、全員は生き残れなかったことを考えながら描き、塗り方が悲しくなりました。このほかにも見返すと、悲しいものしかかいていないなと思わされます)
わたしにとって創作とは、癒しであり、じぶんの子ども時代のいやな思いを供養することのようです
それはとても前向きなのですが、逆に暗くて不気味すぎる、と感じるひとは、きっと特に供養すべきひとがいないのかもしれません
例えば子どもをたくさん殺している殺人鬼キャラのファンが、まったく罪悪感を持たず、同時に創作もしていないのをみると、そんなふうに思います。じぶんでは子どもを傷つけたことがないので、作品の奉納という償いをする必要がないのです
でも、これはもちろん、絵をかかないひとを責め立てている訳ではありません
みんなそれぞれ特技があってわたしは真似できないと思います
また、これは絵師だけでなくクリエイターみんなの悩みかもしれませんが、すきすぎる神がいて、その先生さえいればじぶんの人生は幸せだ、となることもあります。その上でわたし自身がさらに創作をしていく必要を感じないのです
それでもなお、なぜ絵をかいているのかと、ふとおもったので、今回はその理由をまとめてみようとおもいます
その理由というのはやはり、癒しを求めている、ということだとおもいます。暑いから青い絵をかく、というようなことばはオタクからよく聞きますよね
もっと高尚な例でいえば、恋に破れた自己の代わりに、主人公を自殺させる必要のあったゲーテのように、古今東西には救いを求めて、自殺や出家の代わりに創作をするひとが目立つのです
ことに、人形や絵本、マンガなど、子ども向けの分野は広いですよね
つまり、創作したいというひとのなかには、自覚がないかもしれませんが、子どもたちや、じぶんのインナーチャイルドの癒しのために表現したいというひとがいます
あのころには戻れないけど、同じような気持ちの若者がいたら聞いてほしい
子どものときからの課題に創作という形で向き合い、解決するまで進めない
もしじぶんの周りに不幸な子の幽霊がいっぱいいるのなら、作品で慰めたい
掘り返してみると、そんな神仏の供養にも似た気持ちに行きつくことがあるのです
それがわかったあとは、他人の指定が細かに行き渡ったオーダーメイドであっても、どスケベ二次創作であっても、わたしの作品には切なさが保たれ、内側から爽やかさが滲むようになりました
(プロレスごっこをしているあほな物を描いたつもりなのですが、全員は生き残れなかったことを考えながら描き、塗り方が悲しくなりました。このほかにも見返すと、悲しいものしかかいていないなと思わされます)
わたしにとって創作とは、癒しであり、じぶんの子ども時代のいやな思いを供養することのようです
それはとても前向きなのですが、逆に暗くて不気味すぎる、と感じるひとは、きっと特に供養すべきひとがいないのかもしれません
例えば子どもをたくさん殺している殺人鬼キャラのファンが、まったく罪悪感を持たず、同時に創作もしていないのをみると、そんなふうに思います。じぶんでは子どもを傷つけたことがないので、作品の奉納という償いをする必要がないのです