プライド月間です。
セクマイの存在が當たり前となっていくと、筆者の裡には拭えない疑念が1つ浮かんでいました。それは、腐女子が虹の旗を用いる亊です。腐女子はシスジェンダーのヘテロセクシャルとして、ゲイを表現したり消費したりする者で、何方かというと差別する側の筈です。
然るにそう感じるのは、若しかしたら筆者自身が實はセクマイであることから、目を背ける爲ではなかったでしょう乎。
誰より推しに貢ぎ自己犠牲を自慢する道徳ではなく、安いコストで高く自作の繪畫を賣る、と云うアイデンティティをもつ者を、筆者は繪師と呼びます。
繪師の中には一部、自身を〈モブおじさん〉とする者が存在します。
筆者は大抵の女性と、些細なことのひとつひとつから会話が噛み合いません。
例えば、偶に落書きをするという自称オタクが、馴れ馴れしく此方に寄ってくるときです。その者は、偶に落書きをする丈で、而も腐向けを苦手とし、戀愛ゲーしかしていません。それは單なるシスジェンダー中心主義者であるのみならず、藝術系でもない消費者なのです。
会話不能なのは、性自認や性的志向の文脈ではなく、モブおじに自己投影し、社会のジェンダー規範を揺るがす存在という意味で筆者がセクマイだから、ではないでしょうか。無論發達障害も関係がありますが、筆者のようなBLを描く繪師がモブおじに自己投影すると云うのは、つまり、女性でありながら自身のオナネタである成人向け作品を、平然と公開し、同人ではないオリジナル作品なら、寧ろ拡散されてメディア露出したがっている、と云う言い方もできます。筆者には、性慾をもつことを許されない女性としての発達がなかった、という見方もできます。
自身をモブおじとすることは、腐女子と云う、女好きの男性を軽蔑し、ブロマンスに自身を含めた女性の存在は要らない、と云うシスヘテロの性癖のことです。自身を「中身はおじさん」と云うサバサバ系ではありません。サバサバ系は、フェミニンな服を着ず、イケメンが好きではないと云うことで、結局は女性には性慾があつてはならないと云う態度のひとつにすぎないからです。サバサバ系はセクマイの文脈にもサブカルの文脈にもなく、單なる營利企業しか社會人経験のない利己的な者、資本主義に自ら隷属する存在として見る可きです。
ただ、餘りにもモブおじに自己投影する腐女子は寡いのだといい度いのです。先ず、自體ひと握りの存在です。その中で、モブおじに自己投影する繪師は、更に限定された人數しか居ないのです。暗のファンであるコミッションの相手にすらまず居ません。オフラインで出くわすことは、一生不可能といえるほど低確率なので、もう筆者がセクマイではないと云うのも無理がある、と云うことです。
とはいえ最も肝心なことは、カテゴライズしないことですので、私は私でしかないという答えは最初から出ています。女性は性慾があって當然とする客観的な者をマイノリティ呼ばわりするのと、自身は絶對マイノリティなどではないと差別的主張を續けるのと、マシな態度は何方なのかで迷っている譯です。
