誰も貸さない










暗が古書店を開くと言ってネットショップ丈で終わったのは、公庫から融資が下りなくとも高利率のアイフルやプロミスから借りて了え、と高を括つていたら、ネット審査で間髪入れず、即落とされたからです。公庫は物販の店長経験者にしか融資をしない上、高利率でも融資を受けられないと分かって、一気に氣が小さくなり、實店舗計画の全てを白紙として、不動産屋や内装業者、保険會社にドン引きされて了いました。
元々、若い頃は屠殺、遺品整理、火葬、検死等、誰もが避けるような現場で就業できなければ生きる意義が感じられず、そうでなければ誰かの内定の枠を奪うことが厭でした。誰かの役に立つことと、利己的に職を探すことは矛盾していたのです。バリバリの事業主として資本主義で戰うというイメージもなかったので、いまは病院という非營利の現場で働くことができ結果オーライではあります。検死ではありませんが、手術の部署で常に人肉や血に触れていることは、これ迄の職場の中で最も志望に合って居ます。
然し、1度事業をしようと具體的に動いたことで学んだことは大變夛く、きょう書きたいのは、借金のイメージが丸で變わったことです。 

わたくしは、自身で稼いだのではないお金を借りた額をステイタスにすることを、推奨するのではありません。然し、世間では返すことの苦労許りを取り上げて、そもそも借りることができない苦労は無視して居ます。悲劇のヒロインになるために、皆取らぬ狸の皮算用をしている譯です。
何の根拠もなく、初対面で此方にカードローンがあると極めてかかるレジ打ちの婆に、お前になんか誰も一銭も貸して呉れないぞ、と教えてやりたいところなのです。
借金地獄は、元々藝人の樣に愛されるキャラクターで、甘えたり頼ったりしながらも感謝を忘れない人格でなければ辿り着けない、選ばれし者の世界であり、そのような負け顏をする勇氣は、誰でも持っているものではありません。公庫からの借金ならば尚更、國から必ず返せるくらい成功しそうな事業だと信頼され、日本経済を盛り立てるとお墨附きを貰ったと云えます。
屑より己のほうがまだまし、と安心する者でも、實は屑より魅力や人望がまるで無く、安心できる立場ではないのです。