優しさ

高校の頃、よく青空文庫の作品を読んでいました
そのなかの、太宰治の短編をひとつ、ふと思い出し、調べ直したところ、「恥」というタイトルだとわかったので、ここにあらすじをまとめてみようとおもいます




書簡体です。その手紙を書く女の子は、気に入っている作家がいましたが、その小説の主人公の生活があまりに酷く、作家自身もそうなのだと思い込んで、同情と励ましの手紙を送ってみたといいます。すると、その作家の新作にじぶんとおなじ名前、生まれ育ちの女の子が登場したので、とても驚きます

後日、不意に「いま彼はすごく困っていてわたしを待っているにちがいない」という理由のないおもいに囚われたとき、家を抜け出しました。生活に困っているであろう作家が引け目におもわないよう、わざと見窄らしい格好をして、会いに行ったのです

すると、小説とはまったくちがう、立派な屋敷と、清潔感のある作家本人を目の当たりにすることになりました。そして、あなたなどしらない、といわれ、なにもかも勘違いだったとわかった彼女は、恥ずかしさで泣きながら帰るのでした








この女の子に同情しつつも、同時に、「恥」は、これまで読んだどの小説よりも、しょうもないお話だという気持ちもあります

彼女はただのど天然ですし、電波のひとにかってに夢を見られるというのは、クリエイターにとって洒落にならないことでもあります



だれでも、自身の作品がだれかの救いになってほしい、と考えることがあるとおもいます
わたし自身、暗いだけの創作をしても、それは作品にはならないといつもおもっています。どんな不道徳なテーマでも、希望がなんらかのかたちで描かれていなければ、「変態」や「異常性癖」と呼ぶことさえおこがましいものになってしまうのです


しかし、作品の希望や救いというものは、「作品の制作によってじぶんが救われたい」「どうしても救えないひとがいて創作にその気持ちをぶつけたい」というような、もがきから表現するものであって、「救える」という過信から表現するものではないのかもしれません


ファンを泣かせたり精神病にさせたときの後味の悪さはすごいので、そんな過信のあまり、精神状態がおかしなファンに返信するのは得策ではない、とも自戒するようになっています
手に負えない、という謙虚さが必要です




君が想うそのままのこと
歌う誰か 見つけても
すぐに恋に落ちてはダメさ


「林檎もぎれビーム!」で大槻ケンヂは、そう歌っています

優しさとは、精神的に不安定なひとにやたらと同情することではなく、どちらかというと、大槻ケンヂのこの歌詞のような、正直な態度のことをいうのではないかと思い始めています