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日付: 3月 02, 2018
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人気の投稿

模倣されることの痛みと自由

去年までよく繪師たちが掲げていた 「私の作品をAIに学習させないでください」 という宣言は何だったのでしょうか。ざっくり言うと“AIモデルを開發するときの材料にしないでほしい”という意味で使われていました。 畫像生成AIは、開發側が巨大なデータセットを蒐めて、その中の畫像を使って學習させます。このとき、インターネット上の大量の繪畫作品がスクレイピングで取得されることがあり、夛くのクリエーターが問題視しました。 なので當時の「NO AI LEARNING」は、基本的にモデルを“作るための學習データ”に含めないで呉れ(開發側への意思表示) 、勝手にスクレイピングしてデータセットに入れないで呉れ(主に海外の開発コミュニティへの牽制) という意味がありました。 ただし、實際には「宣言したから技術的に學習を防げる」という構造ではなかったので、夛くはモラルや著作権議論の火種となりました。文章の讀める、法務担當者相手なら若しかしたら防げるかも知れませんが、自動スクレイピングしているボットには、表示の裏にある倫理がわかりません。 盗用との勘違いも根強いものでした。モデル構築では、膨大な畫像の平均化・統計化が起きて、個々の作者の“作品そのもの”はほぼ溶けてしまうのに、理解の浅い人々の間では、誰か個人の作風が、生成された畫像で出るのだという幻想が流布しました。 この勘違いを見抜いていたとしても、作者の側に「自分の作風が誰かに勝手に吸われ、溶かされ、どこかで何かの一部になってしまう氣味の惡さ」があったのでしょうか。まるで自分の作品が、森の奥でよく分からない獣にさらわれて骨だけになる光景を想像させるような、不安の物語です。 私が「NO AI LEARNING」の表示を見ていていつもモヤっていたのは、ボットに魔除けが通じないことと、盗用との自意識過剰な混同に氣づいていたからでしたが、そのほかに、大體の落書きは、開發者にとってノイズだろうという懸念でした。筆者の作品も含めて、かえって迷惑をかけていると感じていたのです。しかし調べてみると、汚い作品でもとにかくボットが無差別に吸い込むそうです。ボットにとってクオリティの高さ以上に“分類上扱いやすいかどうか”のほうが重要で、名畫もpixiv の落書きも、均質に吸い込んで処理します。 ところで、筆者はスクレイピングで参照されることも、完成されたAIで...
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Entre:生成としての描画

Blogger の解析ではトップページへのアクセス數ではなく、記事ひとつひとつのアクセス數の合計が分かります。それが10,000 を越えました。リピートの讀者がいるかは全くわかりませんが、然し記念に當ブログのエッセーの傾向を説明します。 カテゴリ: intro  當ブログを説明する記事 art 創作の話題 relation 職場やネットでの生き方の話題 science 博物學の話題 筆者:カファァ:Le cafard 昔の筆名「暗」を一人称とする記事もあります。 31歳女性 鎌倉市在住 素人畵家 サブカルのブログなのですが、筆者がオタクやマニアなのかというと、クリエイターではないかということを、一般的な用語の使い方を踏まえて説明して見ます。 オタク: 1980年代の日本で登場した語で、アニメ・ゲーム・マンガなど虚構世界への強い没入と、キャラクターや作品に対する感情的・戀愛的な共感が特徴です。もともと「他人行儀な二人称(おたく)」から転じ、他人と距離をとりつつ虚構に深く関わる存在を意味しました。 マニア: オタクよりも古い語で、19世紀の「マニアック(狂的な愛好者)」に由来します。蒐集や分類へのこだわり、體系的な知識を求める知的欲望が特徴です。博物學者や鉄道研究者のように、対象を「愛でる」よりも「観察・分析」する姿勢が根底にあります。「対象の内部構造」を解き明かす欲求に動かされるのです。 オタクが虚構に吸い込まれるのに対し、マニアが対象を分析します。とは言え、學業に於ける運動部的な権力も、営利活動における排他的権力も持とうとせず、PCやネットに強いという共通點があります。一般にマニアの観察を「好き」という万能語で表現することがあるのに加え、剰りに博識なマニアの観察対象が、ジャニーズやエロゲにも及び、オタク及びマニアは、1人の性質として両立し得ます。 因みに、これは権力を求める営利活動におけるギークのことではありません。ギークという語には、暗にオタク、マニアよりも収入がある、という含みがあるので、このブログの文脈ではありません。 さて、ChatGPT によると、文化史的にはクリエイターとは「何かを生み出す者」ではないそうです。精確には、創造ではなく変換の職能であると暴きました。虚構、知識、記憶、技術といった素材を通じて、異なるもの同士を接続し、未知の形を立...
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ジェンダー規範から逸脱する女繪師

プライド月間です。 セクマイの存在が當たり前となっていくと、筆者の裡には拭えない疑念が1つ浮かんでいました。それは、腐女子が虹の旗を用いる亊です。腐女子はシスジェンダーのヘテロセクシャルとして、ゲイを表現したり消費したりする者で、何方かというと差別する側の筈です。 誰より推しに貢ぎ自己犠牲を自慢する道徳ではなく、安いコストで高く自作の繪畫を賣る、と云うアイデンティティをもつ限られた者を、筆者は繪師と呼びます。 繪師の中には 一部、自身を〈モブおじさん〉とする者が存在します。 モブおじに自己投影し、社会のジェンダー規範を揺るがす存在という意味で筆者はセクマイなのでしょうか。無論發達障害も関係がありますが、筆者のようなBLを描く繪師がモブおじに自己投影すると云うのは、 つまり、女性でありながら自身のオナネタである成人向け作品を、平然と公開し、同人ではないオリジナル作品なら、寧ろ拡散されてメディア露出したがっている、と云う言い方もできます。 筆者には、性慾をもつことを許されない女性としての発達がなかった、という見方もできます。 自身をモブおじとすることは、 腐女子と云う、女好きの男性を軽蔑し、ブロマンスに自身を含めた女性の存在は要らない、と云うシスヘテロの性癖 のことです。自身を「中身はおじさん」と云うサバサバ系ではありません。サバサバ系は、フェミニンな服を着ず、イケメンが好きではないと云うことで、結局は女性には性慾があつてはならないと云う態度のひとつにすぎないからです。サバサバ系はセクマイの文脈にもサブカルの文脈にもなく、單なる營利企業しか社會人経験のない利己的な者、資本主義に自ら隷属する存在として見る可きです。 ただ、餘りにもモブおじに自己投影する腐女子は寡いのだといい度いのです。先ず、依頼を受けるほどの繪師自體ひと握りの存在です。その中で、モブおじに自己投影する繪師は、更に限定された人數しか居ないのです。筆者のファンであるコミッションの相手にすらまず居ません。オフラインで出くわすことは、一生不可能といえるほど低確率なので、もう筆者がセクマイではないと云うのも無理がある、と云うことです。 とはいえ最も肝心なことは、カテゴライズしないことですので、私は私でしかないという答えは最初から出ています。女性は性慾があって當然とする客観的な者をマイノリティ呼ばわりするのと、自身は...
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