中越地震

中越地震のとき、車を走行中、崖に呑まれてなん日も出られなかった母子のレスキューの模様が、全国的に中継されていました




子どもはふたりいました。ひとりは懸命なレスキューにより助け出されましたが、もうひとりと母親は、ついに助かりませんでした

その母親は高校生のころ、わたしの父が、家庭教師として教えていたことがあったそうです
彼女の家はラーメン屋で、わたしもそのラーメンを食べ、また彼女本人にも会ったことがあるそうなのですが、あまり覚えていません
記憶は、店の棚の上で、煤けた招き猫を見ながら、あの黒いのはなんだろう、とおもっていたことだけです。おとなになったわたしが、いまでは「スス」という概念をしっているということには感慨があります
ひとが死に、子どもは育っていきます
























さて、ここから不快な話になってしまいすみません

父は食い入って、そのテレビ中継を観ていました
でも、彼がじぶんひとりではなく、家中によびかけて、わたしたちをおなじ茶の間に拘束しいつまでもテレビを観させたことはイヤな記憶です
ひとの生死がかかっているのに家長ぶる余裕があった、というのが呑み込めないのです


そのうえ、真剣に観ているのだとおもったら、「こういう中継で、ブルーシートなんかで被災者をカメラに映らないようにするのは、なん日もそこにいたからズボンとかが糞尿で汚くなっているし、見た目がひどいから配慮しているんだよ」などと、だれも求めていない下品な知識を披露して、父は母に呆れられてもいました。なぜわざわざそんなふうに、残り少ない命をもって生きようと戦っている被災者を、わるくいうことがあるでしょうか?

わたしがあのラーメン屋店主だったら、父には葬儀に来てほしくないですね





被災者との思い出が深い知り合いだとしても、そんなリアクションしか取れないのですから、わたしは、テレビで災害のようすを観ることを好ましくおもえなくなりました
3.11のときもあまりテレビを観ていません
わたしたちには他人の痛みなどけっしてわかりようがないからです


ボランティアに行くでもなく、テレビだけ観ている、という自覚は持ったほうがいいでしょう

父はそうしてじぶんにはなにもできないことを認められずレスキュー隊をブラウン管越しに応援している。小学生だったわたしはおもわず、その辺の引き出しや扉を、音を立てて意味もなく開閉したりして八つ当りせずにいられませんでしたが、「うるさい」と、すごい剣幕で叱られてしまいました