いきなりですが、19世紀のイギリスでは今日も影響する、さまざまな事件が巻き起こっていました。化石採掘が知識人のふつうの趣味となったこともまた、歴史の重要な変化のひとつとして挙げられます。
突然ですが、今回お話するのは恐竜黎明期の歴史です。
背景には、まず大航海時代からつづく、博物学的な嗜好があったようです。学者や医師、聖職者たちが、珍しい物に夢中になっていました。
そうしたなかで直接の火付け役となったのは、ドーセットのアニングという、家具職人の一家の娘だったといわれています。彼らは化石収集を副業にして、土産物屋のようなことをしていました。
娘の名前はメアリーといいます。
メアリーがはじめて中生代の巨大爬虫類の化石と遭遇したのは、12歳のときです。それまで部分的にしか見つかっていなかったイクチオサウルスの全身化石を発見したのです。
メアリーは、家族が家具作りに専念するなかでも知識人との取引を続け、採掘をやめなかったようです。
そして22歳のとき、つぎの大発見がありました。今日も人気の、プレシオサウルスの化石を世界で始めて発見したのです。
メアリーは生涯採掘をつづけ、地質学を直接生み出したといえます。
とはいえ、ここまでで出てきた、イクチオサウルスも、プレシオサウルスも、実は恐竜とはかなり離れたグループの古生物です。
非常に大雑把な分類ですが、恐竜はワニとおなじ枝にあり、イクチオサウルスとプレシオサウルスはカメとおなじ枝あるグループで、おたがいかなり遠い種なのです。
それでも、世界で巨大な古生物が注目されるきっかけとなったことに変わりはありません。
アニングにつづこうと、たくさんのひとびとが巨大爬虫類を探し求め、ついに今日の意味での「恐竜」の種が発見されます。
第一発見者は化石マニアの医師を夫にもつ、メアリー・アン・マンテルという、矢張り英国人でした。
夫ギデオンは恐竜のはじめての研究者となりました。やがてギデオンはその標本にイグアノドンと名づけますが、復元像は第一回ロンドン万博の目玉のひとつとなり、これがきっかけでヨーロッパじゅうに恐竜ブームが巻き起こることになりました。同時代にドイルやウェルズがいます。
この勢いは止まることなく、のちの米国西部での発見ラッシュにつながってゆきます。
未開の地で先住民と攻防しながら化石と名声を求めるハンターのすがた:これは我々の「冒険家」のイメージの一端となっています。
…さて、こうした歴史が語るのは、恐竜は、化石マニアや博物マニアの知識人の趣味の研究として、一貫していたということです。
その傾向はいまでも変わりません。
https://www.amazon.co.jp/知られざる日本の恐竜文化-祥伝社新書-金子-隆一/dp/4396110804
この書籍によると、本場アメリカにさえプロはひとりもいない、といいます。
「恐竜学」というものは存在せず、「恐竜学者」を生業としているひとはひとりもいないという状況にあるのです。
でも、これは「恐竜研究にはアマチュアしかいない」というより、「研究者というものにプロやアマなどとかんがえているとキリがない」ということなのかもしれません。
恐竜の話ではありませんが、コスプレをしていたとき、あるカメコのおじいさんから、なにを勉強しているの、と聞かれたことがあります。わたしが、文学部に所属して歴史を専攻している、と答えると、彼は不思議そうでした
「文学部ってなにしてんの? 文学…? 小説読むの?(笑) あなたは女の子だからいいけど、男が文学部へ行くなんて、遊んでるんじゃないの、っておもっちゃうね(笑)」
つまり、就職する気がほんとうにあるのか、と不思議がっているのです。
彼は大学を、就活予備校だと本気で信じているようです。それが、きっと大抵のひとがもっている「常識」なのでしょう。
しかし、それでも独りよがりでいわせてもらうなら、大学は就職の予備校ではないし就職の猶予期間でもありません。学問は学問のためにある、それが本質なのです。
突然ですが、今回お話するのは恐竜黎明期の歴史です。
背景には、まず大航海時代からつづく、博物学的な嗜好があったようです。学者や医師、聖職者たちが、珍しい物に夢中になっていました。
そうしたなかで直接の火付け役となったのは、ドーセットのアニングという、家具職人の一家の娘だったといわれています。彼らは化石収集を副業にして、土産物屋のようなことをしていました。
娘の名前はメアリーといいます。
メアリーがはじめて中生代の巨大爬虫類の化石と遭遇したのは、12歳のときです。それまで部分的にしか見つかっていなかったイクチオサウルスの全身化石を発見したのです。
メアリーは、家族が家具作りに専念するなかでも知識人との取引を続け、採掘をやめなかったようです。
そして22歳のとき、つぎの大発見がありました。今日も人気の、プレシオサウルスの化石を世界で始めて発見したのです。
メアリーは生涯採掘をつづけ、地質学を直接生み出したといえます。
とはいえ、ここまでで出てきた、イクチオサウルスも、プレシオサウルスも、実は恐竜とはかなり離れたグループの古生物です。
非常に大雑把な分類ですが、恐竜はワニとおなじ枝にあり、イクチオサウルスとプレシオサウルスはカメとおなじ枝あるグループで、おたがいかなり遠い種なのです。
それでも、世界で巨大な古生物が注目されるきっかけとなったことに変わりはありません。
アニングにつづこうと、たくさんのひとびとが巨大爬虫類を探し求め、ついに今日の意味での「恐竜」の種が発見されます。
第一発見者は化石マニアの医師を夫にもつ、メアリー・アン・マンテルという、矢張り英国人でした。
夫ギデオンは恐竜のはじめての研究者となりました。やがてギデオンはその標本にイグアノドンと名づけますが、復元像は第一回ロンドン万博の目玉のひとつとなり、これがきっかけでヨーロッパじゅうに恐竜ブームが巻き起こることになりました。同時代にドイルやウェルズがいます。
この勢いは止まることなく、のちの米国西部での発見ラッシュにつながってゆきます。
未開の地で先住民と攻防しながら化石と名声を求めるハンターのすがた:これは我々の「冒険家」のイメージの一端となっています。
…さて、こうした歴史が語るのは、恐竜は、化石マニアや博物マニアの知識人の趣味の研究として、一貫していたということです。
その傾向はいまでも変わりません。
https://www.amazon.co.jp/知られざる日本の恐竜文化-祥伝社新書-金子-隆一/dp/4396110804
この書籍によると、本場アメリカにさえプロはひとりもいない、といいます。
「恐竜学」というものは存在せず、「恐竜学者」を生業としているひとはひとりもいないという状況にあるのです。
でも、これは「恐竜研究にはアマチュアしかいない」というより、「研究者というものにプロやアマなどとかんがえているとキリがない」ということなのかもしれません。
恐竜の話ではありませんが、コスプレをしていたとき、あるカメコのおじいさんから、なにを勉強しているの、と聞かれたことがあります。わたしが、文学部に所属して歴史を専攻している、と答えると、彼は不思議そうでした
「文学部ってなにしてんの? 文学…? 小説読むの?(笑) あなたは女の子だからいいけど、男が文学部へ行くなんて、遊んでるんじゃないの、っておもっちゃうね(笑)」
つまり、就職する気がほんとうにあるのか、と不思議がっているのです。
彼は大学を、就活予備校だと本気で信じているようです。それが、きっと大抵のひとがもっている「常識」なのでしょう。
しかし、それでも独りよがりでいわせてもらうなら、大学は就職の予備校ではないし就職の猶予期間でもありません。学問は学問のためにある、それが本質なのです。