生きていてはいけないことの証明

わたしの特技は胸のわるくなる話をすることです




というわけで、前回の投稿でも酷い話をしましたが、これから、生まれながらの陰キャのわたしのなかでも、いちばん胸くそわるいとおもわれる話をしたいとおもいます……




わたしはなにもやることがないと、つい「なぜ生きているんだろう」ととりとめないことを悩んでしまいます。とくにPMSで泣いているとき、思考がたどり着くのはいつも
「この世に女子割礼があるからわたしは生きていてはいけない」
という理屈です



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女子割礼。エジプト人女性のおおくがその陰核を切除されているのを、しっていましたか
どんなに麻酔を効かせても、泣き叫ぶ激痛だそうです

なんだ、中東の狂った習慣のことか、ならじぶんには関係ないじゃん。いちいち同情しちゃうほうが頭がわるい

そうおもうかもしれません。でも、うえのルポルタージュを読んだとき、わたしはそんなふうにはまったくおもえませんでした



エジプトでは、母親が娘の将来をおもって、下品な陰核を切除するよう手術に連れていってあげる、という発想があるのであり、その発想があれば、母親は聞いたこともないような、目や舌が飛び出てしまうかというほどの声で娘が泣き叫んでいても、平気でいることができるのです

じぶんも若いころおなじ目にあっているにもかかわらず!

これが歴史や文化の力です。分厚い常識の塊のなせる業であり、麻薬とおなじものなのです
わたしが女子割礼を他人事とおもえない理由がそこにあります




ひとはみんななにかに酔って生きている、とよくいわれますが、確かに歴史文化や習慣などに酔わずに生きていないひとはいません

男性が、男尊女卑の思想のままにセカンドレイプをして平気でいること…
米兵が、「アメリカは上、日本は下」という幼いころからの思想のまま日本の幼児を輪姦すること…

そしてエジプト女性が、じぶんも通ってきた道でありごくあたりまえのことなのだからと、娘の陰核をちょん切ること

ひとをここまで狂わせる力をわたしたちもまた、もっているのです
ただ、法律という物差しのうえではわたしたちは逮捕されずに済んでいるだけだというべきなのです


歴史をもっていることが、日本語を読み書きしていることが、わたしは恥ずかしくて情けなくて、どうしようもなくなります