ついでに妹の話をもう少ししたいのですが、妹は確かに美男美女を描かないという崇高な意識をもち、その理想は、漫畫を描くことそのものや、尊敬できるロボツトの漫畫の先生のもとでこき使われることの、力のみなもとと切り離せないのだと思います。
でも、そもそも漫畫家ではなくアシを目指して居たことが、引つかかる點です。妹は頻繁にアシを作品内に登場させるハガレンを愛していました。またわたくしの部屋の、アシがよく登場する少女漫畫をよく持ち出してはまりこんでいた様です。どちらも先生が女性だからアシと仲がいいのですが、妹はこの亊を軽んじ、兎に角ロボツトが描きたいと希求して、男性の先生許り紹介されて居ました。独り暮らしだつたときは毎晩、友だちがいないことを泣きながら母親に電話で話して居た様です。
笑うせえるすまんに遭つたのかというほど、ある意味では強運です。
さて、わたくしは「引き寄せ」が出てくると、その本を讀み返すことなく賣つてしまいます。というのも10年ほど昔に其れが流行り出したころ、例えば「お金がほしい」と希えば、お金がほしいと希つて居たい、貧乏がいい、ということが實現するという、恐ろしいことを讀んだからです。
ほかに雑務がなければ、繪の案件が、不思議とまつたくなくなる日々が有ります。會社員だつたときは、現場が遠方で残業が毎日續くと繪のリクエストが抱えきれないほどありました。そしていまは、案件でなくともこの日までに繪を完成させるぞ、と云う記念日のようなことがあると、ほかに關係のないリクエストが多數舞い込みます。引き寄せふうに云えば、わたくしが忙しいと思い込むと忙しくなる、ということでしよう。
妹を男しかいない職場にばかり引き寄せて鬱病にし、わたくしが過労なときにばかり案件を呉れるこの機構について、スピリチユアルに明るいひとは、「實現してほしくないことを引き寄せないよう、なにが幸せか教えて呉れと頼めばいい」と思うかも知れません。でも、それは自らの胸に訊ねることを、外に求めてしまう原因です。「なにが幸せか知らない」というのが實現すると思うので、わたくしにとつては引き寄せは「笑うせえるすまん」と呼ぶくらいが丁度善い様です。