原子力

たいした意見をもてなかったとしても、とにかく賛成か反対かだけは決めなければならない―――高校の頃、勇ましげにそんなことをいうひとがい
しかし、彼は自身の攻撃性を正当づけたかっただけなのだろう、とおもいます。わたしたちが、賛成か反対化の二元論に陥るときは、単なる人種差別であり、目の前のきらいなひとを圧倒することを、目的化してしまったときだけです

みずからの攻撃性に負けてしまう弱者に卑怯者といわれたとして、だからなんだというのでしょうか






さて、原発について、賛成か反対か、きっぱり主張できるというひとのことを、わたしはどうしても信用できません
というのも、わたしたちのおおくは、原子力を推進する自民党政権下において成長し、人格を築いてきたはずだからです
日本人の日常に、原子力はいろいろな場面にとけ込んでおり地盤はどんな地震にも揺るがされはしません。それなのに、「原子力は所詮人間の扱えるものではない」などとしったようなことをいわれても客観性に欠け、説得力はないのです


とりわけわたしは魚沼の出身です
開国以来の効率主義、産業至上主義に後回しにされてきた、日本海側の地域の、なかでも雪に閉ざされた魚沼です
そして太平洋側の都市である名古屋へ出たあとには、豪雪地域などいっさい念頭にない日本史や、太平洋側中心の見知らぬ日本観に、虚しさを覚えました
視覚障害者を避けていないのに、わざとぶつかりに行っているわけではないから自分は良い人間だ、自分から口を開くとからかわれるから、沈黙に耐えられなくなる奴を炙り出して袋叩きにしよう、民主主義とは小さい声に耳を傾けることであり全員が演説できるようになることではない、名古屋のひとの語っている、あんなものを日本らしさというなら、わたしは知りませんし、わたしは日本人じゃありません

そんな魚沼を新幹線で貫いたのが自民党の田中角栄であり、彼は駅に銅像が立つに相応しい、新潟の恩人と些れているのです。彼がいなければ新潟市が政令指定都市になることもなく、北陸最大の都市などといわれることもなかったといえます

はい。その通りです、わたしは自民党がすきなのです
そのわたしが、まるで原発や自民党が自身の外側にあるかのように判断をくだすのだとすれば、それそのものがまちがいといわざるを得ないでしょう