きょうもどうでもいい日記ですが、無教養とはなんなのでしょうか
よく挨拶が大声すぎて威圧的なひとや、相手を骨折させるほどの握手しかできないひとなど、野暮なひとを無教養というのですが、わたしはそのような体育会系のひとの偏差値が高い場合も多いことを知っていたので、この問題にピンときていなかったのです。しかし『ライ麦畑でつかまえて』のストラドレーターのことを読んで、考えが変わりました。ストラドレーターは、優秀な高校から落第せずいられる学力のあるラグビー部ですが、女の子の名前が覚えられず、下ネタにしか反応しません。主人公に「低脳」と言われると別人のように激しく怒り、図星であること晒してしまうのです。成績には関係なく無教養のひとはいるかもな、と考えるようになりました
力自慢を無教養というのを、より平たく言うと、効率至上主義のことのようですね。現代日本では、自動車の長距離運転とキックボクシングが、代表的な無教養の印かもしれません
それでは女性には無教養のひとがいないかというと、力よりはビジネスがそれに当たると思うのです。英会話とベージュのトレンチコートのことです
ます英語に関しては、ビジネスや論文に使う無機質な言語です。その上、英会話を習う女性は、論文どころかライティングやリーディングができないコンプレックスから、そのような白人のイケメンと話せる教室に逃げているのがわかります
また、トレンチコートに関しては、もとは軍用の外套でした。それを女性がワードローブにしているのがそもそも無粋なのですが、コーディネートをサボるために年中着てしまうものですよね。恐らく、パーティーにもトレンチとビジネススーツで行ってしまったことがあるでしょう
せっかく習い事とファッションは教養への扉だったのに、実は効率のほうへと頑張ってしまっているのです
でも、ちゃんと非効率で文化的な教養を身につけているというひとでも、落とし穴があります。まるで遊女が一人前の花魁になって、いい旦那を見つけるために教養を身につけるかように、差別的だからです。女性に教養がないという差別を前提に、教養を身につけようとするので、結局「教養」と「無教養」とは同じものというほかなくなります。だれかに無教養だ、と指摘するのも、もちろん教養のない態度です
やはり無教養よりは「ダサい」というほうがわかりやすそうです。わたしは、頭がいいひとのなかにも洒落ていないひとがいる、ということを伝えたいだけなのです