「絵がうまくなった」

「絵がうまくなったね」などといわれると、素直に喜べないのは、わたしだけでしょうか











常にではないですが、褒めるということには、かえってある種の優越が見てとれることがあるのは確かです。すごいひとはすごいけれど、それをすなおに認められるじぶんはもっとすごい、というマウントです




「うまくなったね!」といったり

相手のどこがすごいか解説したり

驚嘆して声も出ないみんなを横目に「おれはあの子がすごいってわかってたよ」などと語ったり

……一見相手より下に出ているようでもあり、ズルい手段です






もうひとつ、それとは真逆の方向性のマウントもあります
それは不幸自慢です

つまり、「そんなにきれいな絵がかけるなんてすごい!」という意味ではなく、「あんなひとでも絵がかけるのにわたしなんて…」と不幸自慢のダシにされていると感じることがあります

この2つのせいで、わたしはいまでは褒められること自体が大の苦手になってしまいました







なぜそんな汚いことをされるかという原因の一つには、絵をかくことがインパクトに欠ける、ということがあるでしょう
ネット上見かける欧米のひとに比べ、やはり日本人はみんな絵がうまいなとおもいます。残念ながら、わたしたちがどんなに神絵師になっても、この国では絵がかけるひとは珍しくもなんともないわけです

別世界のひととおもってもらうには、ほかに特技が必要だとおもいます






まず思いつくのは、楽器です
歌では逆にほかのひとたちもうるさくなるので、やはり楽器でないと、ひとは黙りません
なかでも、なるべく習い事っぽくない、バンドの楽器がいいのかなとおもいます

楽器のほかに、さらなる威力があるのは、外国語かもしれません
普段絵を見せてあげることなく、英語が得意なキャラとして過ごせばいいのです。「ロシア人の英語中学生みいで超わかりやすい」「ドイツ人の英語の聞き取りやすさマジ卍」などとハイレベルなことを話しているひとの絵を見たとしても、訳知り顔で褒めるひとはいません




さて、そんなに高嶺の花になってどうしたいんだ、とおもうかもしれませんが、わたしの最終的な考えとしては、本当はひとは絵がうまいわけでも、うまくないわけでもなく、「そのひと」でしかないのだといいたいのです



じぶんはだれとも比べられてはいけないんだ、ということに気づくためには、まずは楽器や外国語をきっかけとして「無言の驚嘆」というものを得る機会を増やすことで、自信をもてるのかもしれません