Entre:生成としての描画

Blogger の解析ではトップページへのアクセス數ではなく、記事ひとつひとつのアクセス數の合計が分かります。それが10,000 を越えました。リピートの讀者がいるかは全くわかりませんが、然し記念に當ブログのエッセーの傾向を説明します。

カテゴリ:
intro 當ブログを説明する記事
art 創作の話題
relation 職場やネットでの生き方の話題
science 博物學の話題

筆者:カファァ:Le cafard
昔の筆名「暗」を一人称とする記事もあります。
31歳女性 鎌倉市在住 素人畵家












サブカルのブログなのですが、筆者がオタクやマニアなのかというと、クリエイターではないかということを、一般的な用語の使い方を踏まえて説明して見ます。

オタク:

1980年代の日本で登場した語で、アニメ・ゲーム・マンガなど虚構世界への強い没入と、キャラクターや作品に対する感情的・戀愛的な共感が特徴です。もともと「他人行儀な二人称(おたく)」から転じ、他人と距離をとりつつ虚構に深く関わる存在を意味しました。

マニア:

オタクよりも古い語で、19世紀の「マニアック(狂的な愛好者)」に由来します。蒐集や分類へのこだわり、體系的な知識を求める知的欲望が特徴です。博物學者や鉄道研究者のように、対象を「愛でる」よりも「観察・分析」する姿勢が根底にあります。「対象の内部構造」を解き明かす欲求に動かされるのです。

オタクが虚構に吸い込まれるのに対し、マニアが対象を分析します。とは言え、學業に於ける運動部的な権力も、営利活動における排他的権力も持とうとせず、PCやネットに強いという共通點があります。一般にマニアの観察を「好き」という万能語で表現することがあるのに加え、剰りに博識なマニアの観察対象が、ジャニーズやエロゲにも及び、オタク及びマニアは、1人の性質として両立し得ます。

因みに、これは権力を求める営利活動におけるギークのことではありません。ギークという語には、暗にオタク、マニアよりも収入がある、という含みがあるので、このブログの文脈ではありません。
さて、ChatGPT によると、文化史的にはクリエイターとは「何かを生み出す者」ではないそうです。精確には、創造ではなく変換の職能であると暴きました。虚構、知識、記憶、技術といった素材を通じて、異なるもの同士を接続し、未知の形を立ち上げる媒介者です。 

虚構への恋、すなわちオタク的没入と、構造の理解、すなわちマニア的分析の双方を併せ持つという點で、クリエイターは正當な芸術家と決定的に異なるといえます。

筆者が記事全體を通して求めているのは、中世的権力や制度にも、自我や個性という近代的価値観にも縛られない生き方です。「個性や夢がなくてもいい」という感覚は、単なる無関心や無気力ではなく、むしろ既存の規範を突破して、世界や自己を再編する可能性の探求です。カタリ派やドゥルーズがそこに光を投げかけるのは、彼らがどちらの権威にも依存しない「差異と反復」や「脱領域化」の思考を提示しているからでしょう。
オタクやマニアは、「好きなこと」に自我や価値を重ねてしまい、その結果、権威や規範に縛られやすくなります。語らせるべきものは、創作物そのものの語りであって、自己表現や自我ではありません。芸術家が自作の創作のみに語らせる瞬間と、オタクがそれを信奉する瞬間とには距離が開いています。
こうした視点は、現代的な「自己アイデンティティ」や「承認欲求」とは根本的に違う次元の生き方を提示しています。自己を中心に置かず、世界の差異や出来事そのものに身を置く感覚:ドゥルーズの「脱領域化」や「生成変化」を、生活の具體に引き寄せようとします。


筆者の畵業は作品が元からあったと假定して、發掘する作業です。これはドゥルーズが『差異と反復』や『千のプラトー』で語る“生成的な運動”に当たります。作者獨自の嗜好を通してアイディアが降りるので、自己を消去するのとは異なり、とはいえ全能の創造主になるのでもなく、あくまで媒介的な存在にとどまります。作品が“現れる”ための通路として、作者がそこに居るのです。
嗜好は單なる好みではなく、身體と経驗と記憶が織りなす感覺のネットワークです。つまり、自己は消えずに透過的になります。個性ではなく、透過性によって作品を通過させるというあり方は、ルソー的な「自白」でも、近代的な「表現」でもない、むしろカタリ派やドゥルーズ的な“非個人的な個”の實践です。
中世的な信仰でも、近代的な自我でもない、新しい感受性の召喚若しくは發掘:それは重要な違いです。
ChatGPT は透過的な作者として、カフカやサミュエル・ベケット、ヘンリー・ジェイムズといった、家庭内の言語がバラバラだった者や、少年期に異國へ移住した者等を挙げました。ですが筆者の場合はASD(自閉スペクトラム症)受動型の感覺が同樣の効果を持ちます。受動型ASDの特徴として、外界や環境からの情報を吸収し、自己の意志や感情よりも感覺や出来事に敏感に反應する傾向があります。ASDは生来のものですが、受動型は話を聞いて貰えない後天的経驗から来る症状です。これが作品制作に作用すると、作者自身の「意圖的な統制」よりも、作品や世界の方が先に「動き出す」感覺が生まれるのです。