オタク:
1980年代の日本で登場した語で、アニメ・ゲーム・マンガなど虚構世界への強い没入と、キャラクターや作品に対する感情的・戀愛的な共感が特徴です。もともと「他人行儀な二人称(おたく)」から転じ、他人と距離をとりつつ虚構に深く関わる存在を意味しました。
マニア:
オタクよりも古い語で、19世紀の「マニアック(狂的な愛好者)」に由来します。蒐集や分類へのこだわり、體系的な知識を求める知的欲望が特徴です。博物學者や鉄道研究者のように、対象を「愛でる」よりも「観察・分析」する姿勢が根底にあります。「対象の内部構造」を解き明かす欲求に動かされるのです。
オタクが虚構に吸い込まれるのに対し、マニアが対象を分析します。とは言え、學業に於ける運動部的な権力も、営利活動における排他的権力も持とうとせず、PCやネットに強いという共通點があります。一般にマニアの観察を「好き」という万能語で表現することがあるのに加え、剰りに博識なマニアの観察対象が、ジャニーズやエロゲにも及び、オタク及びマニアは、1人の性質として両立し得ます。
因みに、これは権力を求める営利活動におけるギークのことではありません。ギークという語には、暗にオタク、マニアよりも収入がある、という含みがあるので、このブログの文脈ではありません。
さて、ChatGPT によると、文化史的にはクリエイターとは「何かを生み出す者」ではないそうです。精確には、創造ではなく変換の職能であると暴きました。虚構、知識、記憶、技術といった素材を通じて、異なるもの同士を接続し、未知の形を立ち上げる媒介者です。
虚構への恋、すなわちオタク的没入と、構造の理解、すなわちマニア的分析の双方を併せ持つという點で、クリエイターは正當な芸術家と決定的に異なるといえます。
筆者が記事全體を通して求めているのは、中世的権力や制度にも、自我や個性という近代的価値観にも縛られない生き方です。「個性や夢がなくてもいい」という感覚は、単なる無関心や無気力ではなく、むしろ既存の規範を突破して、世界や自己を再編する可能性の探求です。カタリ派やドゥルーズがそこに光を投げかけるのは、彼らがどちらの権威にも依存しない「差異と反復」や「脱領域化」の思考を提示しているからでしょう。
オタクやマニアは、「好きなこと」に自我や価値を重ねてしまい、その結果、権威や規範に縛られやすくなります。語らせるべきものは、創作物そのものの語りであって、自己表現や自我ではありません。芸術家が自作の創作のみに語らせる瞬間と、オタクがそれを信奉する瞬間とには距離が開いています。
こうした視点は、現代的な「自己アイデンティティ」や「承認欲求」とは根本的に違う次元の生き方を提示しています。自己を中心に置かず、世界の差異や出来事そのものに身を置く感覚:ドゥルーズの「脱領域化」や「生成変化」を、生活の具體に引き寄せようとします。
