江國香織『抱擁、あるいはライスには塩を』は、魯西亜人のおばあちゃんのいる、元華族の群像小説です。一家は古い洋館に暮らしています。題名の通りに、挨拶はキスと抱擁です。食事は洋食で、白ご飯に塩を振り、亦、かならずワインも出ます。
さて、グローバルな、のびのびした家族と幸せに暮らしていた長女でしたが、お見合いで、格式ある医師の家に嫁ぐことになりました。その日本家屋に住む一家の極端に形式ばった生活は、実家とはかけ離れていたのです。立派な医師であるはずの夫は、実際には姑の陰のようなもので、なんらの人格も持っていませんでした。戀のようなものはなく、セックスさえ日時が決められ、隣室で姑が聞き耳立てているというしきたりには、すべての讀者がドン引きしたことでしょう。
然し、暗はそれよりも、長女が「ワインがないから食事を飲み込むのに苦労した」とカルチャーショックを語っているのが哀れでした。耐えかねた長女は、一年もしないうちに離婚します。
これは露西亜人クオーターの美しいお嬢様が、「日本」に叩きのめされた悲劇の一部始終であって、著者は天衣無縫の無邪氣さを描きたかったのだとおもいます。ですから、食事にワインが出るのを当たり前におもっている長女のほうを、おかしいととる可きなのでしょう。
そこで暗は、逆に目が開かれたのです。確かに、生活に飲み物がないなんて有り得ないと。
以下は小説からズレまくった、本当にどうでもいいお話です。
だからどうということでもないのですが、わたくしたちはプライベートで、つい水などの飲み物を飲むことを忘れがちだなとおもうのです。
学校や職場ではしつこく水分補給のことを聞きますが、プライベートではすっかり忘れます。
そして世の中には、「いっしょに行くと別れる」というジンクス付きのデートスポットがたくさんありますが、それはずっとアトラクションの待ち時間をイライラしながら過ごすことで、相手が嫌いになるということのほかに、お互い水を飲んでいないという理由もあるのではないかと云いたい譯です。亦、家族連れにおいては子どもが泣き、母親も「不機嫌な子はいらないよ!」と怒鳴っているのを見かけますが、それは子どもに水筒を持たせるという当然のことを忘れているからで、母親も諦めて自販機のミネラルウオーターを買って飲むしかないのではないでしょうか。
母親が水を飲む丈で、家じゅうがハッピーでしょう。
それに、食事に飲み物があると、夏バテでも食事を完食できるようになります。
何うしていつもこんなに残してしまうんだろう、と云うお方は、ワインとまでいかなくとも、食事にお茶やコーヒーを添えれば良いのです。
暗としては、運動しない畫家で、喉は乾いていません。しかし根詰めすぎたとき、仕事に失敗して、フリーランスとしてひとの恨みを一身に背負い、じぶんのような罪人には食事する権利さえないかのように感じられたうつ状態にも、いつも紅茶やコーヒーに癒されています。それが暗の中に生きているあのお嬢さまの恐怖、屈辱、無念への追悼でもあります。
然し、暗はそれよりも、長女が「ワインがないから食事を飲み込むのに苦労した」とカルチャーショックを語っているのが哀れでした。耐えかねた長女は、一年もしないうちに離婚します。
これは露西亜人クオーターの美しいお嬢様が、「日本」に叩きのめされた悲劇の一部始終であって、著者は天衣無縫の無邪氣さを描きたかったのだとおもいます。ですから、食事にワインが出るのを当たり前におもっている長女のほうを、おかしいととる可きなのでしょう。
そこで暗は、逆に目が開かれたのです。確かに、生活に飲み物がないなんて有り得ないと。
以下は小説からズレまくった、本当にどうでもいいお話です。
だからどうということでもないのですが、わたくしたちはプライベートで、つい水などの飲み物を飲むことを忘れがちだなとおもうのです。
学校や職場ではしつこく水分補給のことを聞きますが、プライベートではすっかり忘れます。
そして世の中には、「いっしょに行くと別れる」というジンクス付きのデートスポットがたくさんありますが、それはずっとアトラクションの待ち時間をイライラしながら過ごすことで、相手が嫌いになるということのほかに、お互い水を飲んでいないという理由もあるのではないかと云いたい譯です。亦、家族連れにおいては子どもが泣き、母親も「不機嫌な子はいらないよ!」と怒鳴っているのを見かけますが、それは子どもに水筒を持たせるという当然のことを忘れているからで、母親も諦めて自販機のミネラルウオーターを買って飲むしかないのではないでしょうか。
母親が水を飲む丈で、家じゅうがハッピーでしょう。
それに、食事に飲み物があると、夏バテでも食事を完食できるようになります。
何うしていつもこんなに残してしまうんだろう、と云うお方は、ワインとまでいかなくとも、食事にお茶やコーヒーを添えれば良いのです。
暗としては、運動しない畫家で、喉は乾いていません。しかし根詰めすぎたとき、仕事に失敗して、フリーランスとしてひとの恨みを一身に背負い、じぶんのような罪人には食事する権利さえないかのように感じられたうつ状態にも、いつも紅茶やコーヒーに癒されています。それが暗の中に生きているあのお嬢さまの恐怖、屈辱、無念への追悼でもあります。