中学校がバス通学でした。
狭いバス内に、攻撃性の塊のような田舎の中学生がすし詰めになっていたのです。いつもどつき合いが起き、野球部とその取り巻きが、文化部や帰宅部の生徒を蹴り飛ばしていました。
下校のバスの話です。美術部員のわたしは、なにかと部活が長引く運動部と異なり、いつも時間通りに学校を出て、バスが到着したそのときに乗車し、座ることができていました。
ある日、テニス部員の友だちがあとから乗ってきたときです。やはり彼女は立っていて、わたしは座席に座っていました。すると彼女は高圧的になっていいます。
「運動部のひとは疲れているんだから、文化部が荷物を持たなきゃいけないんだよ」
友だちどうしなら座っているひとが立っているひとの鞄などを持ってあげるのはよくあることだし、バスの空間をムダにしないためになります。そもそも小学校が同じだったので、マブダチか親戚のようなものであり、黙って差し出されれば持ちます。なのになぜ、わざわざ部活のことを引き合いに出すのか、不気味でした。
さて、おとなになってからわたしは、運動部の地位の高さの正体を、学校教育と高野連の古くからの癒着にあるのではないかという考え方を、複数の文献で、目にするようになりました。
また、野球道のようなものを最初に考え出した人物は高野連の創始者だ、という本を見つけたこともあります。
野球部はじめ、運動部は学校の名声を上げてくれる花形であり、彼らが輝けるようにほかの生徒たちはいろいろなものを譲ったりして、頭を低くするのは当然である…これは、まるで兵隊さんと、お国のために戦う彼らを敬う一般市民の関係そのものです。
わたしは、あのバスの惨状をおとなたちに聞かせていたのに、だれも対応してくれなかったのを覚えています。義務教育を受けろ、学校で毎日規則正しい生活を習慣づけ、芸術家やフリーターにはならず企業に就職するしか生きる道はないんだぞ、と洗脳しながら、この子は不登校ではないからいじめはないんだ、というわけです。
いじめに敏感な世のなか、そのおとなたちが、わたしを無視したおなじ目でニュース見て、「いじめっ子は少年院に入れて絶対に一生出すな」、などと義憤に燃えて見せるのが、とても不可解でした。なぜ加害者が運動部員で、被害者がそれ以外の生徒だと、見逃されてしまうのでしょうか?
いろいろな記事に出会った後のいまでは、それは、野球が母国愛を象徴するものだったからだとわかります。
いろいろな記事に出会った後のいまでは、それは、野球が母国愛を象徴するものだったからだとわかります。
母校のため戦う純真な球児たちを、少年院に入れるなどという発想がないのです。そしておなじ理由で、どの学校でも野球部顧問が中心となって、ほかの教師たちの教育論を束ねている現状なのであり、それを感じ取った生徒たちが、野球部の取り巻きとなってほかの生徒たちを足蹴にするカーストができているのだ、と説明がつきます。
最後に、高野連の影響力を指摘するひとびとは、このような右翼的空気を不気味におもう気持ちを大切にしている、ということを書いておきます。彼らの考え方にふれたわたしは、野球という日本兵の亡霊を、そしてスポーツを、気味がわるいとおもってもいいんだ、と、救われた気持ちでした
最後に、高野連の影響力を指摘するひとびとは、このような右翼的空気を不気味におもう気持ちを大切にしている、ということを書いておきます。彼らの考え方にふれたわたしは、野球という日本兵の亡霊を、そしてスポーツを、気味がわるいとおもってもいいんだ、と、救われた気持ちでした