欲深い

強欲ってどう何ういう意味でしょうか。
一般には身に余る富がほしいこと、という意味とされているでしょう。わたくしもそう考えていたのですが、逆なのかなと思うこともあります。つまり、お金がほしくないひとほど、すごい欲ばりなのかもしれない、と。

















大学を出てからのわたくしはいわゆる夢追い人で、月給制で働いてほしい家族などから、「働け」と言われっぱなしで、傷つくことは多かったです。
でも、わたしのような、歩合制で不安定な給与しか得られない若者に、バイトを増やせと言いたいとき、それを「働け」ではなく「稼げ」と言っているひとを見かけたことがあります。そういう言い方もあるのか、と、よい意味の驚きを感じました。
「働け」とは頭ごなしに突き放す響きであるのに対し、「稼げ」「儲けろ」ということばは、アンタもお金がすきでしょ? と寄り添うように聞こえたのです。

「働け」というと、その苦労していないように見えるひとの不幸を願っている意味が強くなります
わたしのように苦労して見せろ……わたしより不幸じゃない人間がいていいわけがない……
つまり労働の義務とは、みんなが平等に不幸になればいい、と願う主旨だと捉えている者許りです。
嫉妬心を正当化するために義務があると思っているひとを真面目とは感じません。他人がじぶんより苦労しているかどうかではなく、ただお客さんのことだけ考えればいいのになと残念です。
わたくしも博物趣味として、経済學部卒がどれだけ中身のない莫迦な連中かはよく知って居ます。然し自慢話許りで嫌われる勇気のない経済学部卒は置いておいて、根っからお金で考えることのできる唯物論者なら、お客さんのニーズを満たし、亦商売の拡大の爲出費が夛くなるという意味でも無慾です。




それに対して、「お金なんていらない」といって善人ぶると、代わりに他人が悪役を背負うことになります。
じぶんではなにもできない夫、部屋が汚く勉強もしない子ども、礼儀のない無知な友人……優等生がひとりいると、相対的に周囲がそのような役目にならざるを得ません。

突然ですが、西尾維新の「OVER HEAVEN」では、ディオの母親の口癖が、「天国に行けないわよ」というものだったことが書かれています
清貧な彼女はいつも他人に施しをしてばかりで、酒乱の夫ダリオにも、禁酒するよう呼びかけつづけたので、暴力の末に衰弱死しました。
ディオはダリオを毒殺することになるので、もちろん父親を憎んでいたものの、天国へ行けたのは母親ではなく父親のほうではないかと、なんとなく感じているようです。
読んでいる当初、なぜそう感じるのかわかりませんでしたが、確かに肝心のダリオのような悪党が救われないのなら、神がいても仕方がないといえます。それに、母親は、ダリオにどうしようもない夫という役目を背負わせて、じぶんからはなにもわがままを言って頼ってあげなかったのだ、とも分かってきました。
みずから幸福な姫になることを放棄して、ダリオのことを王子様にしてあげられなかったのです。その上母親であることも放棄しています。たった一人の息子ではなく、他人に施して、ディオにしてあげたことはただ、毎日「そんなことでは天国に行けませんよ」と脅すだけでした。
たとえ貧しくて苦労ばかりしていても、天國に行きたい、というのは立派な強慾なのかもしれません。