SNS時代、なんでもシェアができるようになっています。撮影にうるさかったあの美術館さえも、むしろインスタに拡散してもらいたくて企画展を行うところは多く、どんな組織もSNSの存在を想定せざるをえないことを象徴するかのようです。
そんななかで優遇され、快適にスマホを使用していると、創作系のSNSにおいてこんな錯覚をしがちになります。だれもが拡散されたがっていると。
公開する以上、たくさんのひとに見てもらいたいんじゃないか、いくら拡散されたっていいはずだ、と、わたしもおもっていた時期がありました
しかし実際、困るひとはいます。
例えばその作者は、場所柄を選んで公開したはずなのに、べつのサイトにシェアされると、場違いな場面において自身の作品が強制的に滑らされ、叩かれるかも知れません。
創作家が美術館やギャラリー、雑貨店などの場所柄を考慮して使い分ける権利は、著作権で守られています。
これは二次創作で住み分けをしているひとには、既に聞きなれた話ですね。
拡散=善。この錯覚が忘れさせがちなことがあります。転載とシェアはちがうということです。
その作品を気に入ったという気持はわかりますし、暗も端末に保存されること自體はうれしいのです。
それでも、たとえば繪の投稿サイトで他人の絵を転載し、ランキングの上位になっているひとなどを見ると、ドン引きせざるをえません。
そんななかで優遇され、快適にスマホを使用していると、創作系のSNSにおいてこんな錯覚をしがちになります。だれもが拡散されたがっていると。
公開する以上、たくさんのひとに見てもらいたいんじゃないか、いくら拡散されたっていいはずだ、と、わたしもおもっていた時期がありました
しかし実際、困るひとはいます。
例えばその作者は、場所柄を選んで公開したはずなのに、べつのサイトにシェアされると、場違いな場面において自身の作品が強制的に滑らされ、叩かれるかも知れません。
創作家が美術館やギャラリー、雑貨店などの場所柄を考慮して使い分ける権利は、著作権で守られています。
これは二次創作で住み分けをしているひとには、既に聞きなれた話ですね。
拡散=善。この錯覚が忘れさせがちなことがあります。転載とシェアはちがうということです。
その作品を気に入ったという気持はわかりますし、暗も端末に保存されること自體はうれしいのです。
それでも、たとえば繪の投稿サイトで他人の絵を転載し、ランキングの上位になっているひとなどを見ると、ドン引きせざるをえません。
コミッションでも同じことです。若し神繪師に5万圓くらいの高額で同人誌表紙をリクエストをしたとしても、著作権譲渡の話がなかったのなら、金額問わず支部やYouTube等に投稿してはいけません。
作者名がわかるようアドレスをシェアするのとはちがって、そのデータを自身で転載することは、その作品を称えたことにはならないのです。むしろ自作発言にも等しいとみなされます。
作者名がわかるようアドレスをシェアするのとはちがって、そのデータを自身で転載することは、その作品を称えたことにはならないのです。むしろ自作発言にも等しいとみなされます。