再評価はいらない

きようは「お巡りさんの日」ですが、偶然にも、邏卒を「巡査」に改めた本人である、川路利良の誕生日とも重なつています。

最近るろ剣で同人を始めた暗は、つい誕生日由来かと勘違いしそうになりましたが、よく考えると川路は最初の警視総監であつて、お巡りさんではありません。唯の偶然なのでした。












この偶然について指摘するひとは稀なのですが、そもそもどうして、警察組織を形作った川路が、いまとなつては『飛ぶが如く』と『るろうに剣心』の読者くらいの、限られたひとびとの記憶にしか留められていないのでしようか。

とはいえ、私は川路が有名ではないから本やグッズにする、と云う動機は不純であると考えます。腐女子ですから、ツンデレ萌えキャラだから、おでこがキュートだから、と云う理由のほうがかえって純粋な譯です。

長州や、同じ薩摩の西郷、大久保より目立たせようとするとなると、どうしてこの偉人の評価は低いのかということばかり紹介して、かわいそうがることになります。研究者は川路のことを知つてほしいと言いながら、マイナス面ばかり噂している、という自覺が足りません。
研究者が、命日に鹿児島の焼酎を飲んでめそめそしているところなど見ると、このひとは相手が死者であるのをいいことに、自分勝手な判官びいきに浸つているということがわかります。
暗はこの頃、再評価を求める研究はありがちですが、然し本来あつてはならないとさえ想えてきました。懐古主義も進歩史観も主観的過ぎます。
最上や光秀が表して居る様に、評価が高くなれば下がるだけなのですから、「勝手に言つてろ」という気持ちを忘れるべきではありません。科學者なのに誰かを善い人、惡い人などと云うのは、きようから止めるべきなのです。

憐れむのは懐古主義の研究者に任せて、腐女子はイジつていたらいいと思えてきました。警察は、ほかの多くの映画、ドラマ、小説などと同じく、脇役にしておくのが相應しいでしよう。