ひとりでやらない

プロの仕事だ、とだれもに認めてもらうためには、アクを抜き、すんなりと鑑賞できるようにすることが必要だとされます
それは個性を殺すのとは違います。すんなり腑に落ちる感覚にさせられないということは、作品の下手な部分が不協和を生んでいるからであり、上達のポイントがそこにある、ということなのでしょう



しかし、個性を殺そうと頑張ってしまう向きもつよい気がします。わたしは彼ら一流絵師を目指すひとびとの作品を、プロのようだと讃嘆するよりむしろ、あまりに人格が感じられないので不気味におもってしまうことがあります
たとえば「美麗」なグラフィックを売りにしたカードゲームの絵師などです
彼らはとても素晴らしい仕事をしますが、職人として優れているというだけで、マネしたい、憧れる、とは感じさせにくいです。どんなひとが、どんなふうに描いたのか、まったく想像させないためです




(これはただのわたしの絵ですが、なん度か修正を指摘していただきデザイナーさんに表紙として仕上げていただいたものです。もちろん原作者や集英社の担当さんを抜いて素人だけで考えても恐らく3人は関わったと思うのですが、ひとりでやるより3倍以上のなにかがあるなと感じました)





話は変わるようですが、このごろわたしはバンドの音楽をよく聴きます。メンバーのだれの作詞・作曲なのかかんがえるとけっこうわかりやすい特徴が出ていたりします


ひとりひとりの仕事では個性が目立ちすぎても、だれの作曲であれ、バンドメンバーが編曲で協力し合えば豊かさを生みます。その流動的な音楽がバンドの魅力です

しかし彼らのなかのだれかがソロで活動したり、ほかのバンドを作って独裁的にプロデュースしたりすると、途端に子どもっぽくなる、聴きづらくなる、と感じるのはわたしだけでしょうか


こうした体験をすると、知ったようなことをいいますが、プロの仕事に圧倒されるのはたったひとりの才能ではなく、むしろおおくのひとが携わったことによる高め合い、中和が働いているのはないかと思わされます




じぶんひとりでアク抜きをし、上達を目指すのは不可欠かもしれませんが、手立てはそれだけではないかもしれません
当然どんな場合でも、たったひとりで仕事をするわけではないからです
アクを中和するためには、個性を殺すよりむしろ、たくさんの個性をそこにぶつけることもまた、手立てではないでしょうか



仕事だけでなく恋愛や交友関係においても、人間にはひとりでどれだけのことができるかではなく、どれだけのひとを巻き込めるかということこそに価値がある、というかんがえかたがありますが、きょうの記事を要約すると、単純にそういえるとおもいます