ある本で、才能とよばれるものには2種類ある、ということばに出会いました。ひとつは、「じぶんのやりたいこと」、もうひとつは、「特にやりたくないけれど、不思議と周圍から求められること」です。
また著者は、才能を咲かすためには後者のほうが近道だと云いました。需要がある、ということですから確かに成功しない筈はありません。この才能のことを、「使命」と呼びたいとおもいます。
それなのに、世間では前者の「じぶんのやりたいこと」ばかりを「夢」と呼んでいるので、「夢は叶わない」主義のひとと「夢は叶う」主義のひととがいるような、ややこしいことになつているのではないでしようか。周りに求められていないことを、じぶんがやりたいという氣持だけでゴリ押しすれば、一度くらいは叶うときもあり、叶わないときもあるからです。
それなのに、世間では前者の「じぶんのやりたいこと」ばかりを「夢」と呼んでいるので、「夢は叶わない」主義のひとと「夢は叶う」主義のひととがいるような、ややこしいことになつているのではないでしようか。周りに求められていないことを、じぶんがやりたいという氣持だけでゴリ押しすれば、一度くらいは叶うときもあり、叶わないときもあるからです。
また、別のひとの本ですが、古書店は分類などして古書に本来以上の意味をもたせてはならず、客が古書を探す楽しみを奪うような、セレクトシヨツプ的な形態では失敗するとありました。
實際セレクトシヨツプには、「じぶんのやりたいこと」を押しつけた店が多いです。商品に衣類がある店だと、年下女性の客に「わたしに憧れるでしよ」とにじり寄る店主が棲息していることもあり、そんな店は日曜日でも客入りがありません。わたくしなら服ではなく乾電池や、市の指定ごみ袋、燐寸などを売り、また、上から商品の解説をするのではなく、仕入れてほしいもの、好きなものをうかがう姿勢を取るでしょう。
衣類の店ではないですが、かつて裏鎌倉に、手紙のセレクトシヨツプがありました。入ると壁一面の備え付け棚に便箋が並び、もちろん封筒とポストカードも多數扱うほか、ペンも充實していました。内装が落ち着いていて雰圍氣がいいだけでなく、そこで手紙を書くとスタツフが郵便に出してくれると云うサービスが、なんともお洒落です。
この店が閉店したと聞き、わたくしは速讀をひけらかす意識高い系を避ける者として、手紙には密かに共感を寄せていたので、純粋に悲しく、消えた非効率の灯に追悼しました。しかし、もし自分がオーナーだつたら、と知つたふうに考えると、矢張り自己満足だつたと思います。此の店の動機は、ひとの役に立とうというよりは、携帯電話やインターネツトに一矢報いたいということではなかつたでしようか。それに、「女性の日」の存在が女性差別であるように、オーナーが手紙を書く自身という人間を、ありふれたものだと考えることができていないのが見え透いていて、差別的です。
当店は、まさにセレクトシヨツプ的な古書店になる予定なので、あの手紙の店の二の舞となるかもしれません。若いひとに自慢話ばかりするのではなく、なにかのアンチになるのでもなく、好奇心を刺激される面白い品を見つける手助けになりたいだけだつた、ということを、忘れないでいられるでしようか。