自分でも素直じゃないな、と思うものの、誉められても、それが「絵がうまい」ことにはならないのかもしれない、と考えることがあります
たとえば「あなたの髪の描き方がだいすきです!」とコメントしてもらったとしたら、それはむしろ、髪の描き方がへたで、作品に不協和を生んでいるからこそ注目を集めただけかもしれません
他人にとって、「変わったもの」と「へたなもの」を見分けるのはとても難しいからです
(ひとからかならず「色がきれい!」と誉めてもらえます。うれしいのですが、それをわざわざ誉めるというのは、そこに素人くさいユルさがあって、不自然に映るからなのだとおもっています。というのも、わたしは色を塗るのがとても苦手だという自覚があるのです)
また、欠点を補おうと丁寧に描いていると、逆にそここそが得意分野なのだと、周囲から誤解される場合もおおいです
例えば、絵ではありませんが、演技がとてもへたで、どんな役でも朗読のようになってしまうあの神谷浩史が、プロのなかのプロ声優であるかのように語られるのは、へたさが長所として誤解された典型例だとおもいます
彼のような例を考えると、へたであればあるほど、個性的で、ファンが増えるともいえそうですが、だからこそ大切なのは、へただという自覚をしっかりもつことだとおもっています
卑屈になるのではなく、謙虚で冷静に、自覚する必要があります
自身で気づいていなければ、それを個性として昇華させるための努力もまた、できないからです
たとえば「あなたの髪の描き方がだいすきです!」とコメントしてもらったとしたら、それはむしろ、髪の描き方がへたで、作品に不協和を生んでいるからこそ注目を集めただけかもしれません
他人にとって、「変わったもの」と「へたなもの」を見分けるのはとても難しいからです
(ひとからかならず「色がきれい!」と誉めてもらえます。うれしいのですが、それをわざわざ誉めるというのは、そこに素人くさいユルさがあって、不自然に映るからなのだとおもっています。というのも、わたしは色を塗るのがとても苦手だという自覚があるのです)
また、欠点を補おうと丁寧に描いていると、逆にそここそが得意分野なのだと、周囲から誤解される場合もおおいです
例えば、絵ではありませんが、演技がとてもへたで、どんな役でも朗読のようになってしまうあの神谷浩史が、プロのなかのプロ声優であるかのように語られるのは、へたさが長所として誤解された典型例だとおもいます
彼のような例を考えると、へたであればあるほど、個性的で、ファンが増えるともいえそうですが、だからこそ大切なのは、へただという自覚をしっかりもつことだとおもっています
卑屈になるのではなく、謙虚で冷静に、自覚する必要があります
自身で気づいていなければ、それを個性として昇華させるための努力もまた、できないからです