創作に関係のないどうでもいい話です
ある日、わたしがひとの疎らな電車に乗っていると、ある駅でぐっとひとが増えました
そのとき、制服姿の小学生の子がじっとわたしの前に立ったことがあります
電車がすいているときは、4人で向き合うブロック席に座るひとが多いです
しかしその脇の、2人がけの席にわたしは座っていました。荷物を考慮すると実質1人用の席として認識しているひとも多いでしょう。このような席に、すでにだれか座っているのに無理矢理入り込むひとは、頭が若干おかしい怖いひとですから、そんなひとが来ないように、わたしはわざと荷物をどかすことはせず、置いたままでいました(車掌さんすみません)
小学生がじっとわたしのカバンを凝視する様は、まるで学生時代の引っ込み思案な級友が、掃除の時だけ箒でひとの足元ギリギリを狙ったり、あるいは思い切ってぶつかったりするのと似ていて、なんとも懐かしかったです
彼らの気が大きくなるのは、掃除は正しいことであり、電車で荷物をどかしてもらって座ることも、正しいことだからです
わたしは小学生の脅しによって、カバンを退かすしかなくなり、彼は座りました
わたしはいつしか目を閉じていましたが、すると、小学生が一生懸命執拗に覗きこんでくるではありませんか
化石のような俺女の腐女子であるわたしは、性別というものを理解しました。無条件で子どもに馴れ馴れしくされなければいけない、これが女というものです
なにも言えなさそうな、そこそこ美人を選ぶこと……
ひと言「ここいいですか」とさえ言えず、ひたすら押し黙ること……
好奇心のまま覗きこむこと……
これを、大人になってもまだ卒業できないでいるとストーカーになるのかもしれません
同じような話で、高校のギャルの子が複数の障害者にクスクス笑われながら囲まれ、携帯を覗かれるなどされた、とか、バスがなくなったバス停に困り果てて立っていた小学生のまえを通りすがったら、駅のトイレまで付いてきた、などの恐怖体験を聞いたことがあります
これらは子どもの話ですが、大人のストーカーのひとも、「これだけ見つめても仲間に入れてくれない相手が悪い」と、じぶんの正義を貫いているのかもしれません
でも仲間外れを作ってはいけないのは、全員から目を離してはいけない保育士さんや小学生の教員のひとのことです
中学くらいから、「保母さんのように優しそうな女子がいる。あいつはみんなを好きでなければいけない」ということはなくなると思います。早くバイト経験をして、じっと見つめるほかにひと言なにか挨拶できるようになってくれるといいですね