リアリティ

テレビを点けて古い映画から銃声が聞こえたら、きっとほとんどのひとがチャンネルを変えるものだとおもいます。わたしもそうしていたのですが、この頃はたまにそのままにして、西部劇を観ることもあります





特に、有名な「弾丸を噛め!」は銃があまり乱射されません。
大陸横断レースという長旅で、参加者は協力し合い、一緒にゴールを目指していたところが興味深かったです。ライバルである参加者よりも、強盗や先住民、飢え、災害のほうが敵として強大だからです。これが自然の脅威をしらない平和ボケの日本人なら「我先にとゴールを目指して血みどろにするのがリアリティだ」と的外れなことを考えるかもしれませんが、荒野でひとり生き残ってなんになるでしょう。わたしは暴力よりもかえって人間ドラマにリアリティを感じました。


「夕日の用心棒」といったマカロニウエスタンとなると、人間ドラマというより、恋がひとつの軸となっています。
牧場に強盗団が立て籠もりますが、武器をたくさん所持しているはずの強盗が、かえって牧場の女性を振り向かせるのに手を焼いているのが面白かったです。いっしょに強盗をやっていたリーダーの妻が、牧場主に気変わりするドラマもあり、全体としてはとても切ないストーリーでした。
これが日本映画なら、牧場の娘たちがつぎつぎ強姦されそうですが、リアルに考えると、犯罪者の間でも性犯罪の地位は最下位で、ブロマンスより女など好きなのは大悪党の箔がなくなってしまうので、不可能なことです。それに、結局相手の女性を振り向かせたことになりませんし、制作したイタリア人としては、やはり恋が描きたかったのでしょう。













わたしはこのような西部劇のリアリティーに感服しています。
「無理やり」という記事で書いたことと共通しているのですが、創作が、悲惨であれば良作になるとは特に考えていません。悲惨さよりも、むしろユーモアが不可欠なので、見直していきたいところです。