私語は義務











獨りというのは、矢張り弱いなと想います。



どこへ行つても中高年ばかりなのは人口ピラミツド的に當然のことですが、中高年は大體主婦なので、未婚のわたくしとはお互い食堂で一緒になる樣な仲にはなりません。

獨りで話し相手が居ないと、業務を囘してもらいづらいです。成功が誰れの役に立っていて、失敗で誰が困るのか見えてきにくく、作業を覺えることや速く作業することが中々難しくなります。
忙しい人間たちの手を止めて業務を分けてもらいに行くまえに、日報を書いておこうとすると、複数人の主婦から、「それは休み時間に書くことになついてるんだよ」と責められて了います。わたくしが日報を書くのと、主婦の私語とではあまり變わらないくらいの時間なのですが、矢張り友だちが夛い者のほうが正しく、ひとりぼつちのわたくしばかり「同じ時給もらつてアホらしい」と中傷されるのです。

友だちが澤山いる者は仕事熱心で、ひとりぼつちの者はサボっている。小學校の時は逆だつたと思憶うのですが、思春期のころからこの樣に逆轉してしまった氣がします。中學、高校のとき、私語している明るい性格の女子生徒が教師に好かれ、その間授業が進まず、仕方無くひとりで読書やほかの科目の勉強をする生徒たちが、「いまはその時間じやないだろ」と理不尽に注意されているのをよく見ました。それは月給貰いとなつたいまでも、續いています。