忍たま乱太郎25周年のインタビューで、主演3人の声優が、は組の生徒たちの話題に触れていました。
しんべヱがほかのお金持ちのアニメキャラクターと異なり、嫌味っぽさがないという話に始まり、彼のことを親のいないきり丸が羨まないことにも触れ、そもそも、は組のよい子たちの家の職業がとても多様で、よそと比べない、という話に発展しました。
https://www6.nhk.or.jp/anime/special/special.html?i=4506
ここからは、まったく違う話です。
數年前「ノマド」ということばを聞くようにな 爲ってから、その響きに可笑しなものを感じて居ました。何故なのか、理由ははっきりとは解りませんでしたが、上の記事を前提にすれば、いまなら何とかことばにできそうな氣がします。
ノマドとは遊牧民のことです。わたくしたち農民を起源とする日本人にとって、遊牧民とはまさによその家なのです。ここで想う可きは、よその家を羨む必要があるの乎、と云うことでしょう。
ノマドになりたいひとや、「人生は旅だ」「いろいろなものを見て、いろんな所へ行って、いろんなひとと関われ」などと云う人間は、農民にとっての非日常が、遊牧民にとっては日常で、彼らはその日常を地道に生きているだけなのだということに、氣づいていないのかも知れません。
人生とは當に日常です。
わたくし自身としては、遊牧民の歴史や、彼らの登場する小説に魅了され、新生活を始めるなら絶對に地元ではない場所だと憶い、一人暮らししました。
行かなくていい土地へ行ったことで、わたくしの地元を暗にバカにしたり度外視したりするひとのなかで、ヘラヘラしていなければいけませんでした
繪師が得意分野ではない接客のバイトをしたことでセクハラや暴力に遭い、佛獨の文學を愛する者が専門とは違う中國文化のゼミに入ってアカハラされ、いつも「ホームじゃない」ところに身を置こうとしては、不幸に爲ったのを思い出します。
そして、わたくしが納めなくていい年金を納めていたので家族は激怒、また、しなくていい婚活をしていたことで、母は大泣きするのでした。
わたくしは、若者の有り余るエネルギーを自立心に向けているつもりでしたが、「教養を深める」という記事で書いたように、実際には居場所や仲間を作ることを怠り、非日常ばかり求めていただけだったのでした。
さて、それに對して實際の遊牧民の生活はどうでしょうか。モンゴルにホームステイしたことがあり、それで気づいたのですが、本物の遊牧民はもちろん、居場所がない者なんかではありませんでした。
農民には平原に草しかないように見えますが、遊牧民は微妙な丘のかたち等に慣れ親しんでいて、いつも知らない土地にいると云うわけではありません。
ちょっと「近所」というものが、農民には考えられないほど廣い範囲なだけであり、何キロか先には部族の仲間もいて、獨りではないのです。之は寝たきりや引きこもりに對しても云いたいのですが、遊牧民はいつも異なる人間と出逢っている譯ではありません。
(ガラケーの写真で申し訳ないですが、モンゴル産の化石です)
遊牧民や旅人、ノマドワーカー、意識高い系の者に對し、農民として劣等を感じることは、むしろ旅人のような個人主義とは程遠くなってしまうでしょう。
しんべヱがほかのお金持ちのアニメキャラクターと異なり、嫌味っぽさがないという話に始まり、彼のことを親のいないきり丸が羨まないことにも触れ、そもそも、は組のよい子たちの家の職業がとても多様で、よそと比べない、という話に発展しました。
https://www6.nhk.or.jp/anime/special/special.html?i=4506
ここからは、まったく違う話です。
數年前「ノマド」ということばを聞くようにな 爲ってから、その響きに可笑しなものを感じて居ました。何故なのか、理由ははっきりとは解りませんでしたが、上の記事を前提にすれば、いまなら何とかことばにできそうな氣がします。
ノマドとは遊牧民のことです。わたくしたち農民を起源とする日本人にとって、遊牧民とはまさによその家なのです。ここで想う可きは、よその家を羨む必要があるの乎、と云うことでしょう。
ノマドになりたいひとや、「人生は旅だ」「いろいろなものを見て、いろんな所へ行って、いろんなひとと関われ」などと云う人間は、農民にとっての非日常が、遊牧民にとっては日常で、彼らはその日常を地道に生きているだけなのだということに、氣づいていないのかも知れません。
人生とは當に日常です。
わたくし自身としては、遊牧民の歴史や、彼らの登場する小説に魅了され、新生活を始めるなら絶對に地元ではない場所だと憶い、一人暮らししました。
行かなくていい土地へ行ったことで、わたくしの地元を暗にバカにしたり度外視したりするひとのなかで、ヘラヘラしていなければいけませんでした
繪師が得意分野ではない接客のバイトをしたことでセクハラや暴力に遭い、佛獨の文學を愛する者が専門とは違う中國文化のゼミに入ってアカハラされ、いつも「ホームじゃない」ところに身を置こうとしては、不幸に爲ったのを思い出します。
そして、わたくしが納めなくていい年金を納めていたので家族は激怒、また、しなくていい婚活をしていたことで、母は大泣きするのでした。
わたくしは、若者の有り余るエネルギーを自立心に向けているつもりでしたが、「教養を深める」という記事で書いたように、実際には居場所や仲間を作ることを怠り、非日常ばかり求めていただけだったのでした。
さて、それに對して實際の遊牧民の生活はどうでしょうか。モンゴルにホームステイしたことがあり、それで気づいたのですが、本物の遊牧民はもちろん、居場所がない者なんかではありませんでした。
農民には平原に草しかないように見えますが、遊牧民は微妙な丘のかたち等に慣れ親しんでいて、いつも知らない土地にいると云うわけではありません。
ちょっと「近所」というものが、農民には考えられないほど廣い範囲なだけであり、何キロか先には部族の仲間もいて、獨りではないのです。之は寝たきりや引きこもりに對しても云いたいのですが、遊牧民はいつも異なる人間と出逢っている譯ではありません。
(ガラケーの写真で申し訳ないですが、モンゴル産の化石です)
遊牧民や旅人、ノマドワーカー、意識高い系の者に對し、農民として劣等を感じることは、むしろ旅人のような個人主義とは程遠くなってしまうでしょう。