アカハラ回避

このブログでなん度か書いたことになりますが、学者とは、客観的事実の正確さだけを求める職業であり、子どもっぽいところが拭えなかったりします

失礼ですが、とりわけ息子、娘がうまれたことのない教授に、おとなとしての態度を期待することはできません。年下を責め立てるみずからを客観視できていない60・70代のすがたは、とても不気味で、質疑を受けたほとんどの学生が泣いて萎縮してしまうことになります。

しかし、泣いていても仕方ありません。
教授や大学院生は、上記のように、寄ってたかって年下の者の揚げ足を取ったり、地位の低い准教授のゼミ生にしか意見できなかったり、ただの一般論を述べているだけの箇所に根拠を求めたりと、態度そのものが間違っていることがおおいので、そこを指摘すれば、黙ってもらうことが可能です。
せっかくブログをやっているので、今回は、迷惑な教授や大学院生の弱点を突く、魔法のことばを4つほど紹介してみたいとおもいます。









それでは質疑を受け付けます

教授はそもそも、卒業したら学問から離れていくであろう学生に「質問」するつもりなんて、ありません。発表者が「回答する」ともおもっておらず、ただ、おどおどと「わかりません」といわせるのがお決まりなのです。

そんな伝統に屈しないで、学生が、みずから「それではご不明な点をご指摘ください」とにこやかに仕切り始めたら、空気は一転します。
ここで質問したら、まんまと引き立て役にされてしまう、と教授たちは思い知るでしょう。




質疑は落ち着いて、ひとつひとつお願い致します

こちらも場を仕切るための方法です。
教授から、鋭い質疑を矢継ぎ早にまくし立てられたときは、まず落ち着くよう宥めるのが有効だとおもいます。質疑内容を聞いていなかったなんて呆れられる、とおもうかもしれませんが、むしろ周囲の厳しい視線は、その不親切な教授のほうに向くでしょう。なぜなら、学生のほうは本当に、その質問に親切に答えようとしているからです。




その質疑はわたしのテーマからずれています

学者というひとびとがもっとも恐れていることのひとつに、不思議ちゃん扱いがあります。このお年寄りはどうしてそんな無意味な質問をするのだろう、と心配してあげることで、不思議ちゃんの発言力はかなり弱まってしまうはずです。
「その質問よりも…」と、じぶんの研究テーマにとって、もっと重要な問題に導入しやすいよう、質問の仕方を添削してあげるといいとおもいます。



わたしのゼミの学生にだけ質疑するのはなぜですか

学生の地位はゼミの教授に左右されるものです。つまり、ゼミの教授がほかの教授から信頼されていれば鋭い質疑をされず、ゆったり過ごせます。逆にゼミの教授が信頼されていなければ、いじめられることになるのが現実です。
それはまさに差別なので、いっそ指摘してしまうのも手ではないでしょうか。
いじめの主犯は傍観者を気取るほかの教授たちからさえ嫌われているものなので、勇気を出せば、割りと簡単に報われます。





最後に、いくら子どもっぽくても、学者の知識は本物なので、正しさで対向するのではなく、あくまで若者らしい善意のみで対向するのがポイントだと断っておこうとおもいます。
「教えを乞う」という基本姿勢を貫けば、決して悪役にされることはないのです。