ところにょり氏の作品をひとつひとつインストールしてプレイしています
作品はどれもとても高く評価されていますが、ゲーム内の課金のやり方が批難されてしまう場合もあるようです
課金の要求はゲーム内にさりげなく溶け込んでいるのではなく、明け透けなので、雰囲気が台無しだというのです。しかも課金してもしなくてもエンディングは一つなのに、桁のおかしな金額の選択肢があるので、呆れるひともいるようです
しかしここで指摘したいのは、以上の見方には、お金を受け取ることを悪とかんがえてしまう前提があるのではないかということです。彼らにとって、お金を払うことは悪に屈したことであり、怒りを伴うわけです
わたしの考え方は、そうではありません
これは「クリエイターの創作作品」なのであり、課金と呼ばれるものは、ここでは「投資」や「支援」というべきものだからです
同人の市場がおおきくなっているいま、創作への支援という概念を理解しておいてもいいのではないか、というのがきょうの記事の主旨です
創作や同人をしっている者にとって、お金は好意です。わたしたちには古くから差し入れの文化があり、それをインターネット上でも再現した「チップ」「おひねり」などの概念がすでに浸透しています
また、「ファンティア」や「FANBOX」などの支援サイトも普及しており、氏のゲームのように、特に見返りがなくとも、無意味に100円‐1000円の金額の選択肢が分かれているのは、当たり前のこととなっています
それは新作を公開し続けてほしい、もっと輝いてほしいという、期待を表すものであり、「負け」などではないのです
ところにょり氏に話をもどすと、課金の仕組みが巧妙ではなく明け透けになっているのは、むしろ「課金へ騙して誘導する気はないです」「支援しなくてもプレイに遜色はありません」というメッセージなのであり、わたしはそこに、なんの問題も感じません