しらなかつた

だからどうというお話でもないのですが、暗は2010年、中條誠子アナと姜尚中さんが出演していたころの日曜美術館を好んで観て居ました。
長身で、声の落ち着いたふたりが大變美しかったからです。
それまで音樂家や建築家などが司會だつたなかで、なぜ政治學者の姜さんだったのか不氣味だという声もあつた様ですが、わたくしの様な當時高校1年生の新規の視聴者にとつては、知る由もありません。
まったく庶民派ぶらない姜さんが、關係のない國際情勢の話題にすり替えて、視點がズレまくっているのが、かえって美術部だと云う丈の唯の學生の朝にはぴつたりで、珈琲のような効果がありました。

そして高過ぎる聲の千住明さんに代變わりして了ったときから、わたくしのこころは番組から離れていったのですが、姜さん以外の出演者にはみな氣になる點があるなと思います。教科書に載るような世界の芸術家に対して、「しらなかった」というばかりで、姜さんのように得意分野でごまかすことすら出來ないことです。
















知ったかぶるほうが善くない、そう念うお方も多いかも知れません。
美術部の學生にとっては「知らない」と云われることほど興醒めなことも有りません。


とても解りやすく質の高いVTRなのにそれを作った者が氣の毒で、更に取り上げられている芸術家や、その研究者に失禮だ、と云う感情の面に於いてもそうですが、生涯學習的にもおかしいからです。
毎週テレビで、上野の行列に並ばなくとも名品が観られる、ということに意味があり、それは圖書館の本を全部讀破できなくとも圖書館が必要であることと同じです。
実際にはしらなくても……本心で「しりたくもない」と念っても……建前上教養のある振りだけでもするものなのです。それを嘘つきといわれると困りますが、もちろん知識が本物であることに越したことがないからこその建前です。