未来










ニュースでは、芸能人の犯罪行為が明るみとなったことで、テレビドラマの今後の収録ができなくなったり、彼の出演している映画を放映できなくなったりする事件が取り上げられることがあります。そして、テレビ局などの関係者が、もし平常通り公開していたら得るはずだった億単位の利益を、その芸能人に賠償させているというネット記事をよく見かけます



真偽はさておき、ここでひっかかる点があります。「得るはずだった利益」とはなんなのでしょうか


代役を探して雇ったり、収録し直したりするための費用を要求するというのなら、現実的で前向きです。しかしテレビ局の要求はそうではありません。立派なお勤め人ともあろうひとびとが、なぜ「その芸能人が犯罪をしていなかったはずの未来」、という謎の概念を押しつけるのでしょうか







さて、お話がおおきく変わってしまうのですが、わたしは絵を出品していて、毎回のように驚くような体験をしています

「吉良を描かなきゃ…」となんとなくおもった日に、吉良のリクエストを受けたり、「ワンピースを描いてほしい」といわれて「ローだろうな」とおもったら、本当にハートの海賊団のリクエストだったりと、極めて精密な勘を発揮してしまうのです
ほかにも、なんの根拠もなく「この不自然に空いた構図のスペースには水面を描いてほしいのかな」とおもったら、依頼者に「実はもともと水面を描いてほしかったけれど、遠慮して伝えなかった」、といわれるなど、相手の描いてほしいものを言われなくとも察知することも珍しくありません


しかし、それは予知ではない、というのがわたしの実感です
それらの出来事はただのオタクとしての経験則であり、未来を見たのではなく、現実を見ていただけです


しっかりと客観的になって、現実をありのままに捉えていたほうが、あり得ないほど不思議なことがたくさん起きます
だから未来という迷信から自由になればいいのに、とおもうこともあります。目のまえのじぶんのやることをやるのです