窓工事の現場で、荷揚げ屋のひとりとトラブルがありました。建築業に於いて、現場に居る女性はとても働いているように見えないことでしよう。そのひとは正義感を燃やし、現場であるマンシヨンの通路や階段などで、わたくしがひとりで歩いているところを狙つては付き纏つて、怒鳴るのです。そのひとはわたくしが「ケータイをいじつている」と主張し、わたくしは時給の形態ではないのだから、本當に云いたいのはそういうことではないだろうと思いましたが、それでなるべく施工写真や社長がシエアした記亊を見ないようにして養生をしていると、そのひとは「養生ばかりしている」とグズつて、早くも単純な勧善懲悪の物語にするのを諦めていました。
荷揚げ屋は窓の取付をする職人に雇われており、その職人にわたくしへの脅迫行為をきつく叱られたようですが、後にそのひとは同じ荷揚げ屋の、体格のちいさな男性が職人と談笑しながら働いているのを見ると迫り寄つていたので、考え方は變わらなかつたようです。非力なひとが羨ましいだけなのは、周囲も気づいているでしよう。
自宅で隣人に怒鳴られたことも考えると、去年の28歳迄を境に、周囲の男性がかえつて女性のわたくしから身を守ろう、立ち向かおう、と感じ始めたような氣がします。
さて、その荷揚げ屋さんは福島縣出身でした。ほかに、職場にはもうひとり困つたひとがいます。「自分がいちばん疲れている」という口癖のある女性管理です。實際、心臓病やひどい立ちくらみはあるようですが、池に落ちたくらいに汗をかいている高齢の職人さんに對してさえ、ツカツカと歩み寄つて「ワタシ病人なんですけどねえ」と喧嘩を賣るのです。この女性もまた、福島縣出身なのです。
わたくしは、時給で働いていた頃でさえ、自分がいちばん働かされている、とは、申しませんでした。
というのも、だれも言うことを聞いてくれない、と周圍にふれて囘れば、相談どころか、その相談相手さえこちらをなめて、ヒモになりかねないではありませんか。ヒモはあたまの惡いひとが殆どですが、なかには、わたくしが若い頃、すけべな繪を見たり描いたりしている間に努力して能力を磨き、若しくは受験勉強を頑張つていたような、頭のよいひとも稀にいて、デスクワークだけしています。そうしたエリートには尚更文句はありません。
理由はもうひとつあります。それはわたくしは福祉というものに、子どもの時分深く納得したからです。わたくしたちの払う税金は働いていないひとの生活保護になります。また、年金は将来の自分のためではなく、いまの高齢者の年金として配られるものです。わたくしは、そのような無職が羨ましいということはなく、幸せそうだと妬むことはありません。
わたくしの知る福島縣出身の人物が、ふたりとも「自分がいちばん肉体労働をしている」というのはなぜでしようか。縣民性を検索しても、「いつも他者と比べている」という意見は出てきません。だれにとつても、努力したひとが報われてほしいものだから、「重い物を持たず走り廻らない人間は惡」という當たり前なことを、殊更にネツト記亊にはしないとでも云うのでしようか。わたくしは、そんなことを當たり前などと云うのは騙されていると云いたいです。
プライドを捨てられなくて助けを求めないなら、余計に仕事を押し付けられなけれはいけないのが當然なのです。福島縣民のような正義感の強い者ではなく、プライドを捨てた者だけが助けてもらえる、それでいいのです。