漫画家の渡辺多恵子先生が、カヲシンの同人をやっていたことがウィキペディアに記載されています。当該の即売会の様子を漫画にしたものが、短編集の巻末に収録されていました。そこには明らかに手抜きの同人誌が多かったことや、手抜きのゲストページに対して、長文でお礼をする習慣があったことなどが書かれていて、創作者としての先生の苛立ちが見て取れます。
そして先生は、夢中で同人誌を描いていたのに、不図止めて了ったそうです。矢張り手抜きではなく、ひとに見てもらうために描きたいし、他人のふんどしだからそんなに楽しくないんだ、とわかったとのことでした。
先生だけではなく、ネットでも随所で「二次創作は自力じゃないから人気になってもうれしくない」「二次創作はじぶんの人気じゃなくてキャラ人気だぞ」などという発言を見かけることがあります。
先生だけではなく、ネットでも随所で「二次創作は自力じゃないから人気になってもうれしくない」「二次創作はじぶんの人気じゃなくてキャラ人気だぞ」などという発言を見かけることがあります。
はい……そうなんです。二次創作で喜ばしいのは、キャラの息が続いていくことであり、心底キャラが好きな人ほど「自分の売名なんて関係ない」と本気で思っているのです。
二次創作は確かに、特にグッズなどは完全な著作権侵害かもしれませんが、誰もが自己満足でやっています。極端な話、人に見てもらうものなのに手抜きが多い、というのは批判として成立しておらず、手抜きは原作へのリスペクトがない、という視点でなければいけません。
二次創作は確かに、特にグッズなどは完全な著作権侵害かもしれませんが、誰もが自己満足でやっています。極端な話、人に見てもらうものなのに手抜きが多い、というのは批判として成立しておらず、手抜きは原作へのリスペクトがない、という視点でなければいけません。
先生は営利の姿勢を捨てず、「人に見てもらうものだから」という、まさに盗作のマインドで同人をしたことを、誇らしげにひけらかしていることになります。
「二次創作で人気になってもうれしくない」という発言の主たちは、二次創作を貶めるつもりが、「うれしくない」という表現で、逆に墓穴を掘ってしまっているのではないでしょうか
これではただ「原作を尊重していないのに二次創作して、人気取りしてしまいました」というもっともよくない姿勢を、偉そうに言いふらしているだけです。
さて、ちょっと話が変わりますが、そもそも、オリジナルの創作が「自力」とは、どういうことなのでしょう。
これは実に哲学的で、というか美術史の裏側をそのまま引っぺがすような問題に陥っています。
わたし自身、完全オリジナルで描くことのほうが多いですが、それは、和装の人気や、歴史漫画の人気、にかかっているので、商店街的であり、自力のみとはあまり感じません。
人間は目で見たもの、読んだもの、歴史や文化の蓄積から逃れられない。和装を描けば和装の記号性に乗り、歴史を描けば歴史的イメージの伝統に乗り、そしてマンガ絵を描けば、マンガが百年かけて作ってきた“様式”に乗る。それは自力というより、巨大な街の路地裏の一本一本を借りて歩いている感じに近い。
また、模写もトレスも“訓練”であって、“不誠実”とは真逆です。ルネサンスの巨匠たちは師匠の絵をそっくりそのまま描くところから始めていたわけで、あれは立派な正統ルートです。手癖だけで描くと、絵はどんどん萎縮する。観察も分析も他者への憧れもなくなり、その結果、知らぬ間に雑になって自尊心だけが残ります。
「二次創作で人気になってもうれしくない」という発言の主たちは、二次創作を貶めるつもりが、「うれしくない」という表現で、逆に墓穴を掘ってしまっているのではないでしょうか
これではただ「原作を尊重していないのに二次創作して、人気取りしてしまいました」というもっともよくない姿勢を、偉そうに言いふらしているだけです。
さて、ちょっと話が変わりますが、そもそも、オリジナルの創作が「自力」とは、どういうことなのでしょう。
これは実に哲学的で、というか美術史の裏側をそのまま引っぺがすような問題に陥っています。
わたし自身、完全オリジナルで描くことのほうが多いですが、それは、和装の人気や、歴史漫画の人気、にかかっているので、商店街的であり、自力のみとはあまり感じません。
人間は目で見たもの、読んだもの、歴史や文化の蓄積から逃れられない。和装を描けば和装の記号性に乗り、歴史を描けば歴史的イメージの伝統に乗り、そしてマンガ絵を描けば、マンガが百年かけて作ってきた“様式”に乗る。それは自力というより、巨大な街の路地裏の一本一本を借りて歩いている感じに近い。
また、模写もトレスも“訓練”であって、“不誠実”とは真逆です。ルネサンスの巨匠たちは師匠の絵をそっくりそのまま描くところから始めていたわけで、あれは立派な正統ルートです。手癖だけで描くと、絵はどんどん萎縮する。観察も分析も他者への憧れもなくなり、その結果、知らぬ間に雑になって自尊心だけが残ります。
何故オリジナルより二次創作が人気かということには、知名度は勿論ですが、オリジナルだけにこだわるひとの画力と呼べるものが、およそないに等しいのです。人気作品に心から感動することなく、神に心底憧れて真似をするということがないので絵が下手なまま、右を向いた若い女の子しか描けないことを克服もしない、ということです。本当に絵が上手いわけではないなら、二次創作への非難は單なる嫉妬にすぎません。本當に自身のほうが巧いなら、二次創作の惡口を投稿することはないでしょう。

