子どものとき、樂器の教室に通つていたお方は多いと思います。暗もそうでした。基本的な音樂の理論がわかつてよかつたのですが、見過ごせない問題もありました。其のカワイピアノ教室には「作曲コース」という物がなかったのです。
とても大人しく、静かな女性講師がひとりいて、子どもたちに樂譜を暗譜させる許りでした。
いま思えば、カワイ講師とは、音大を卒業後結婚までのつなぎの期間として両親が許可した、といつたところだったのでしよう。
彼女はビジネスマンでありながら、ある意味、カワイの「講師養成コース」(?)みたいなものの消費者として、モラトリアムを謳歌しているお客さんであり、作曲なんてクリエイテイブなことは、教えてくれる譯もなかつたのかも知れません。
ただの同人活動であつてもほかのオタクと協力する日々を送るようになってみると、兩親、そして恐らくは講師も、創作というものをしらなかつたのだと氣づくことができます。
でもそれは、あらゆるサービスにおいていえることなのかもしれません。よく考えると、藝術や生涯学習を中心とした夛くのサービスは、お客さんに、自身が消費者であることを忘れさせる爲のものですよね。
例えば旅行ツアーです。
「旅人」というのは生業です。本當に旅人を生業としている旅行会會はそれを語らず、消費者にみずからこそを旅人であるかのように錯覚していただくサービスといえます。
でも、旅行會社のひとは、ただのお客さんに旅を知つたかぶりされて虚しくないのでしょうか……
わたくしだつたら厭です。
というのもリテイクが當たり前の腐女子もいるからです。
消費者はアイデイアを持ち込むことで、業者にそれを作品として仕上げさせ、じぶんがクリエイターになつたと錯覚することができます。やはり騙すサービスとしての面が否定できません。
自身のアイディアをコミッションでクリエイターにかたちにさせる、と云うより、著作権に照らせば、予てから貢ぎたかった神を愉しませる爲に好きそうなものをリクエストすると云う姿勢しかあり得ず、出来上がった作品の著作権は勿論クリエイターのものとなるのですが、スキマとココナラユーザーのほとんどはそれを知りません。
ここで冷静になりたいのですが、両親の音樂家になりたいという夢を叶えられなかつたように、皆さんの、絵をかきたいという夢もまた、他人である腐女子には叶えられないのだということを、正直に表明したいのです。
とても大人しく、静かな女性講師がひとりいて、子どもたちに樂譜を暗譜させる許りでした。
いま思えば、カワイ講師とは、音大を卒業後結婚までのつなぎの期間として両親が許可した、といつたところだったのでしよう。
彼女はビジネスマンでありながら、ある意味、カワイの「講師養成コース」(?)みたいなものの消費者として、モラトリアムを謳歌しているお客さんであり、作曲なんてクリエイテイブなことは、教えてくれる譯もなかつたのかも知れません。
ただの同人活動であつてもほかのオタクと協力する日々を送るようになってみると、兩親、そして恐らくは講師も、創作というものをしらなかつたのだと氣づくことができます。
でもそれは、あらゆるサービスにおいていえることなのかもしれません。よく考えると、藝術や生涯学習を中心とした夛くのサービスは、お客さんに、自身が消費者であることを忘れさせる爲のものですよね。
例えば旅行ツアーです。
「旅人」というのは生業です。本當に旅人を生業としている旅行会會はそれを語らず、消費者にみずからこそを旅人であるかのように錯覚していただくサービスといえます。
でも、旅行會社のひとは、ただのお客さんに旅を知つたかぶりされて虚しくないのでしょうか……
わたくしだつたら厭です。
というのもリテイクが當たり前の腐女子もいるからです。
消費者はアイデイアを持ち込むことで、業者にそれを作品として仕上げさせ、じぶんがクリエイターになつたと錯覚することができます。やはり騙すサービスとしての面が否定できません。
自身のアイディアをコミッションでクリエイターにかたちにさせる、と云うより、著作権に照らせば、予てから貢ぎたかった神を愉しませる爲に好きそうなものをリクエストすると云う姿勢しかあり得ず、出来上がった作品の著作権は勿論クリエイターのものとなるのですが、スキマとココナラユーザーのほとんどはそれを知りません。
ここで冷静になりたいのですが、両親の音樂家になりたいという夢を叶えられなかつたように、皆さんの、絵をかきたいという夢もまた、他人である腐女子には叶えられないのだということを、正直に表明したいのです。