笑う葬儀

よく、お笑いは「ひとを笑顔にする仕事」だといわれています
わたしはそれを聞くたび、どうしてか、靴に砂利が入ったような感覚になっていました


つい最近まで芸人のひとでも、そんな誇りは持っていなかったのではないでしょうか。笑うのが健康によいとしても、ひとを笑わせる仕事はとんでもないストレスで、チョコプラ松尾さんは総白髪、霜降りせいやさんは薄毛に悩んでいます。笑顔と笑いは違うものだし、「ひとを笑顔にする」と、きれいごとでまとめなくてもいいのに、と感じるのです





さて、まったく異なるお話しなのですが、近年、木目調や、パステルカラーの遺影がすこし普及しているようです
額縁が、遺影の特徴であるリボンと、よくマッチしています


わたしのいつも淡いと言われてしまう絵にも良さそうだなと感じました
わたしの絵は切なさをもっとも重視し、メレンゲかマシュマロのようになってしまいます。あまり重厚ではないので、従来の真っ黒い額縁がまるで合わなくて、肖像画の難しさに気持ちが凹んでいました。しかし凹んでばかりもいられません。愛らしい額縁はその救世主としてわたしのまえに現れました





しかしながら、そうした遺影を選ぶひとは、「暗い」を貶し言葉だと捉えているからこそ、葬儀をカラフルにしたいのだろうかと思うと、そこにはあまり共感することができません


わたしは、むしろ「暗い」といわれても、アーティストっぽいと言われたようでそこまで悪い気はしないのです
暗い部屋に俯き、パソコンの明かりに顔を浮かび上がらせ、ゲームを作っているひとや、作曲をしているひとには、正直憧れますし、暗い顔が世間の迷惑だとも考えていません


ですから、心から冥福を祈った結果、切なく淡い絵になるだけで、「明るいひとだね」と言われたい下心などありません
わたしにとってパステルカラーこそ、悲しみなのです
重要なのは弔いの気持ちであり、明るいか暗いかではない気がします























さて、話は戻ります。大阪人の笑いへのプライドに潰されているのはお笑い芸人だけでなく、葬儀会社のみなさんもそうかもしれません

というのも、就活をしていたとき、彼らは企業説明会で、「葬送業っていうと、ジメーッとしたイメージがあるけど、実際には……」と必ず前置きしていたので、相当コンプレックスだったんだろうなと察せられたのです。彼らが否定すればするほど、聞くほうは本当は明るく振舞いたくないんだろうなと心配になるだけで、逆効果です

みんな接客をするから笑顔だし、葬儀の花を競り落とすひとなんて、とても元気です。だから、そんな前置きは必要ないのですが、葬送業のシェアで上位を占める会社は、なぜか大阪に集中しているということもあり、只管に明るいアピールをするのでした





面接官は、「これまで生きてきていちばん悲しかったことは?」と尋ねては、耐えきれず、大爆笑していました

新卒者のツヤツヤのお顔から、悲しかったことが語られるのがおかしいのはわかりますが、それならあえて聞かなければいいのに、とも思います
恐らく葬儀でも、にらめっこの原理でニヤニヤしているんだろうな、とわかってしまいました





また、明るく振る舞うのがツラすぎて開き直ったのか、女子ばかり採用している企業もありました

それは同じく大阪の、湯灌を核とした企業で、遺体洗浄は明らかに力仕事なのに、新人に男子のいない年もあるようでした。つまり、素人っぽくてたまらん女性新卒者に、癒されようとしたのです
面接官は、お気に入りの子に花束や高価なアクセサリーを渡すならまだかわいげがあるのですが、ただ格言をしたためた色紙なんかを配っているとのことでした。公私混同していない、と言い張るためです。じぶんのことも、みんなのことも騙していると思います






葬送業のひとびとには、ぜひムリしないでほしいですね
そのストレスのままでは、社員のからだに手が伸びるのは時間の問題だからです。そしてセクハラとパワハラは一体のもので、お笑いのプライドは、暗い顔のひとはいじめてもいい、という極めて後進的な田舎っぽい理屈となるでしょう。ニコニコしているつもりでも、それが都会的な品位ではなくなるのです


明るくても、暗くても、それは他人のいうことです
葬儀に携わるひとが明るいと言われたいのは、ただの見栄や下心で、お客さんのためではないのです