絵師としてコミッションするメリットのひとつは、お金を受け取る覚悟を決められることです
小さいときは、落書きしていると怒られるものだからでしょうか、いまもなお、数百円でも受け取るのをビビっている絵師が多いです。月給は会社という抽象概念から受け取るものなのでなんともないですが、オタクのコミッションだとそのお金は個人の血肉なので、非常に緊張します。それでも思い切って出品することで、仕事を断るのではなく値段を上げてみるなど、交渉も身に付きます
まったく経済を学んだことがないわたしにとって、高額を受け取るようになるまでにも、深くひとと傷つけ合いました
生活保護を受けているひとばかり絵を買っていてイヤだと駄々をこねるわたしに、お金がいらないのは不道徳だと謎の脅迫するひとが数人いたのです
初めて知る正義だったので、その後、るろ剣はとても読みやすくなりました。なぜなら彼らの主張は、例えるなら観柳が阿片を売ることについて、お金の分しっかり阿片を渡しているのだからなにも悪くないというようなものです。そして事業を拡大する権利があって、商取引は最もわかりやすい正義のひとつなのです
そしてわたしのようなお金儲けしたくない者は悪、というわけです
でも本人たちも廃課金のひとしか絵を買わないのがイヤだからこそ、わたしに同じ目に遭えと脅迫したのではないか、と、さらにその先を考えるようにしています
いまでは正義たちのことは相手にしませんが、価値観がわかったのはよかったです。でもこれよりも、さらに強烈に世界観を変えたような絵を売るメリットが、もうひとつあります
それは、じぶんのお客様的な態度がなくなって、普段とは別の経済の世界が見えるようになる、ということです
じぶんがサービスを受けるときにも、相手はじぶんにできないことができ、そしてこちらはお金をあげているという関係を、平等なものだと理解できるようになるのです
お金を騙し取られる、という恐怖は、こちらがお客さんであっても、かえってなにか差し入れをするという人間的な思いやりによって、すぐに解けて消えました
また、商品など色々なレビューで「3」や「まあまあ」を基本にしていたところを、「5」や「非常に満足した」を基本にするようになったじぶんに、大変な成長を実感します
学生のとき、レポートに批評を書くときは好意的なほうが高評価をもらいやすいという講師がいました。そんな“平等”でない批評をしてどうなるんだと思ったことがあるのですが、逆に悪口になんの意味があるでしょうか
特に、コミッションの出品者は会社という抽象概念ではなく、知り合いですから、低評価どころか、おみやげをあげたっていいくらいですそれに、ものすごく安価な作品に低評価をするのはおかしいので、せめて相場くらいかそれ以上を払えるようになってからでないと、評価なんて意味がない気がするのです
スキマでとてもバズっていた絵師のレビューをなんとなく見ていたことがあります。するとポツンと1つだけ、低評価がありました。なんでも、塗り残しがひどくて、服の模様など同じ書き残しを何度も指摘させたということでした。このような絵師に頼んでしまって、自分が情けないという悔しさが滲む文面でした。確かに抜け感が特徴的な絵師だったので、そのようなミスを作風と勘違いしている愛情の薄い人物だったとしても不思議はありません。深く同情しますが、ついこういう考え方もしてしまいます。その絵師は数千円で受け付けていたので、もし5万円くらい握らせていたら、傑作を描いてくれたかもしれないと
いままで、わたし自身が低評価をつけたサービスを振り返ると、どれも安価だった気がしています
そもそも満足する気がないですね
きょう初めて、ココナラで星5つではなく4をつける購入者に出会いました
その衝撃で、この記事を書いています。このひとが「3」を基準にしていると考えると、「4」はきっとものすごく満足してもらえたということだと思いますが、けっこう凹みます
その購入者の指定は、モノクロで、解像度が極端に低く、著作権つきなのにわずか3000円でした
“平等”な評価しかできなくても仕方のないことです。5をあげられないのは、受け取る側の問題だと感じました