逃げる

創作にそこまで関係のない話です
先日、NHKの「ダークサイドミステリー」を観てから、寝付けない日々が続いています

それは明治の開拓時代に起きた、「三毛別羆事件」をテーマにしたものでした。バラバラ遺体の話は本当に辛いですが、なにより一連の事件のなかで印象深かったのは、7人もの仲間が無残に殺されるあいだ、開拓民がすぐ立ち退いたわけではなかったということです
じぶんで切り開いた三毛別に愛着があるからです。生半可な気持ちで北海道に来たわけではないのでした

ウィキペディアを追ううち、生存者の一人は、この事件で犠牲者ひとりにつき10頭の羆を仕留めると誓いを立ててマタギになったということです
理解できないことですが、仲間が食べ残しになった姿を目の当たりにすると、もしかしたら恐怖より怒りが勝つものなのかもしれません

最初は現実味がなかった獣害でしたが、このような意外な人間くさい心のはたらきを見せてもらうことによって、怨念が真に迫ってきて、電気を消すのが怖いわけです








さて、ここからはフィクションのお話ですみませんが、中村明日美子先生の「Jの総て」というマンガにも、覚悟を持ってその土地にやってきたキャラクターが描かれています

舞台は50年代アメリカで、主人公は頼る家族のない少年です。トランスジェンダーで、ニューヨークにて女装の歌手となりました。第6話以降では、行き倒れていた詩人志望の女性が物語に加わり、彼女と共にした短い日々が描かれます

主人公が頭角を現すうち、最悪の事件が起きました。クラブが黒人と同性愛者を憎む過激派の政治家に目をつけられたのです。一晩買いたいと指名され、オーナーは商品を殺されるわけにいかないので断固拒否しましたが、権力をまえになすすべはなく、行かせるしかありませんでした
詩人はオーナーを最低だといい、主人公に逃げようと誘います。しかし「いざとなったらおめおめママのところに帰れるやつとは違うんだよ」とかえって激怒されてしまいました。文学特有のプライドで、主人公たちの生きざまである物質主義やニューヨークを軽蔑する気持ちがあるのを見透かされたのです

翌日、やはり主人公は、怪我を負って送り返されることになります




























その後詩人は、オーナーにも「せいぜいお高く留まって軽蔑してろ」と言われてしまうのですが、しかし生まれ育ちが違うことや、帰れる場所があること自体が悪いかというと、どうなのでしょうか

わたしは羆がいても逃げなかった開拓民を尊敬するとともに、だからこそじぶんと他人を比べないほうがいい、とも感じられます

これまで、凄惨な歴史を学ぶと、自身に両親がいて裕福であることを恥じなければいけない、と感じていましたが、もうおとななのだから罪人ぶって遊ぶのはやめて、毅然としていられるようでありたいと思い、この記事を書きました





なにがいいたいかというと、すぐに会社を辞めていく新入社員の悪口をよく聞きますが、彼らに転職できる余裕があることそのものについては、悪くないのかもしれませんね

その新人が本当にムカつくなら、じぶんで仕事が思い付かないなら帰れば? と言えばいいのであって、「一度決めたことは最後までやれ」というのは違う気がするのです

「Jの総て」の主人公とオーナーは、詩人を、道徳を持ち出して怒ったわけではありません。個人主義で、「もう帰れば?」と言っただけです