スキマやココナラの利用者にどうしてもわかつてほしいことがあります。それは繪が繪師のものだということです。
著作権の思想上、コミツシヨンとは、繪師が自身の好きなものを描き、そこにフアンが投げ銭するものです。例えば、いま『龍が如く』というジヤンルに居る繪師に、余程興が乗るリクエストでなければ、龍如以外を描かせることはできないでしよう。その繪師が好きに龍如を描いているのを支部などで見ていたひとが、それが無料で閲覧できるので、たまにお金を出したくてコミツシヨンを購入する、という利用が自然なやり方と云えます。
無償のお題箱でも有償コミツシヨンでも、その繪の著作者が繪師であることには變わりないので、繪師は自身が描いていて楽しいリクエストしか受けなくていいのです。
夢繪や同人誌表紙のコミツシヨンという存在自体、繪師が普段からあなたのつぶやきや作品を見て、それを推しカプとしていないのであれば、始めから成立しないということです。著作権があるので、購入者が細かいリクエストやリテイクをしてはいけないから、と云うこともできます。リテイクを受け付けるという繪師に對しても、それを要求した時點で、そもそも、何故そんなふうに人格を否定したくなるような繪師にお金を出してしまったのか、意味不明なのです。
著作者には、「公衆通信権」という、作品の公開を制限する権利もあります。夢繪と成人向け作品、ナマモノに関しては、ポートフォリオとして使うな、と云う購入者はとても夛いですが、然し井上先生が『SLAMDUNK』を電子書籍にしないことについては何うでしようか。假に讀者というお客樣がお金を出し度いと望んだとしても、集英社の上層の指示があつたとしても、誰も著作者に無断で漫畫を電子書籍にすることはできません。實は、できた夢繪を購入者にヘツダーやプロフイール畫像などとして転載されたとき、通報できるのは繪師のほうなのです。
繪はほかの食品や衣服等のようには買えませんが、その著作権を買うことはできます。著作権料を拂う迄は、其れが購入者を題材として描いた作品であつても、購入者のものではないのです。著作権は數万圓ほどしてあたりまえです。
それなら何故「表紙はお金を出して私が描いてもらったものです。無断転載禁止です」などと表示している小説家がいるかというと、筆者としてはその表示をしている購入者とは取引しません。著作権を買っていないなら、他人のものを無断使用されて怒りを感じることそのものが的外れだからです。
さて、以上のことを知らなくても、スキマとココナラが惡い面もあると筆者は思うのです。元々繪が描けない者も、子どもの頃は著作権を理解していたのではないでしようか。繪は繪を描いた人間のもの、それをなぜ忘れて了つたかというと、スキマやココナラが繪師を値段で検索できるようにし、リテイクなど購入後の擦り合わせを認めたからだと考えられます。恰も繪師がリクエストを選ぶのではなく、購入者が繪師を選ぶかのように、こちらの意識を操作したと云えるのです。
著作権料を拂わないうちは、コミツシヨンに〈お客樣〉は存在しません。普段のお仕事で人並外れた高収入を得ていても、担当がついていて書籍化の経験があつても、ゲーム業界で働いているプロでも、著作権のまえには商業未経験の繪師と對等な、同人活動の仲間です。どうか「繪師は自分らしい面白いものしか描かなくていい」と云うことに立ち返つていただきたいのです。
