あなたのため

3年ほど引きこもって絵師をしていましたが、終に心療内科を予約してみました。

いままで病院に行こうと思わなかったのは、障害があるといいふらしてステータスにしたくなかったからです。わたしはだれでもできる努力を積んでいるだけです。どんな落書きでもひとの絵を見て、そんな作風だったの乎と驚きたいので、誰かに「オレにはできない」などと言われると悲しくなります。特に男性が、ゴッホやベートーヴェンなど障碍者に特別な才能があることや、日本文化を形成した被差別民の重大さを、女性に言いふらしたがる傾向にありますが、こちらとしては、じゃあじぶんで精神病院に行ったら、なにかしら障害といわれるでしょうから簡単に穢多になれますよ、と言いたいのです。彼らのように、なにが「特別」か「普通」かといって、差別的になるわけにはいきません。

それに、精神疾患や障害の本には、挿畫がたくさん使われているものです。みなさんがわかりやすく楽しいと感じる図版が、嫉妬深い絵師にはとても辛いものでした。


しかし3年も絵師として平日と休日の区別をつけないでいると、唐突ですが、ある生理前のときに強烈に死にたくなったのです。それは、もっとこういうふうに描こう、というごく当たり前の前向きな自責にさえ、なぜか耐えられなくなる感覚で、自殺衝動というと厨二すぎるなと思い、「不安」と呼んでいます。それから数ヶ月の間、絵が描けず、文字も読めなくなり、オタク生命が絶たれたかに思えました。

ひとりで病院に行ってみると、まずは看護師が人生のことをざっと聞いてカルテを作り、その後で医師の診察がありました。そして、ADHDの二次性の鬱病だと診察されたのです。

産婦人科のピルではなく抗不安薬のリーゼ錠でいいのではないかと薦められ、またADHDにはストラテラが処方されたのでした。ストラテラは高価でやめてしまいましたが、リーゼは生理によく効き、元々神経性胃炎があったけれどそれも治るようでした。

わたしは、いまはだれでも入社できる派遣会社を見つけ、製造業に派遣されています。コミッションが来ると絵が描けるので、オタク活動も元通り回復してきました。


ADHDは「注意欠陥・多動性障害」の略です。ずっと机に張り付いているわたしが多動とは……面白くなって、すっかり文字が読めるよう回復したので、わたしはようやく動画やネット記事を見てみました。見てみると、図書館の本と違って文字しかない記事はたくさんあるものですね。挿絵のないものをよく選んで調べるうち、神経発達症は自信がなくてセクハラ被害に遭いやすいということがわかってきました。

そこで思い出した重要なことがあります。わたしは小さい頃から、父親に性的に触られているではありませんか。

神経発達症は他人と目を合わせないそうで、いまこうして書いていても父の顔も思い出せず、他人事のようですが、かえってわたしが絵にしか興味がないのをいいことに、父が胸を触ったり口にキスしたりしていたのがわかるようです。特にわたしが引きこもっていたとき、鬱病を慰める名目で腕を引っ張って、服に手を入れてくるのは本当にしつこかったです。


いざ打ち明けてみると、カウンセラーも、そして母も、この事実を非常に気味悪がり、また妹も性的に触られていたことがわかって、ようやくわたしは人並みに激怒できるようになりました。

父に対して、ベルトのバックルやスリッパなど振り翳し、基本的に「おまえ」と呼ぶようになったのです。わたしの立ち振る舞いや声量は、元気だった子どもの頃に戻りました。秘密の重みがなくなって身体が軽く、頭がすっきりして、生きているという感じがします。

母は、そんなわたしをかえって不安がり、元気がありません。わたしが父のことを医師に打ち明けに行くというと、初めて病院について来ました。そして診察中、父の話になったとき、看護師がパタパタと歩き回って、衝立の向こうで聞き耳を立て始めました。

医師は「怒るのはごく当たり前の感情です。ご自身の中で消化するには時間がかかるかもしれませんが、薬はありません。お父様が触るのがまだ続くようであれば警察に言うしかないでしょう」と言って申し訳なさそうに診察を終えました。

先生が申し訳なく感じる必要はありません。わたしは薬がないということにかえって励まされたからです。母の思惑は外れました。わたしは確かに、障害者だから男性にとって都合が良くて、触られたかもしれませんが、そこから正常に戻りつつあるから、怒っているのです。


診察室を出ると先程聞いていた看護師が駆け寄って来て、母にケースワーカーに相談するよう奨めました。ケースワーカーとは、医療ではなく福祉の職員です。

母とケースワーカーとがなにを話したかわかりませんが、わたしに言えるのは父も多分神経発達症だろうから、医師には父自身が相談しなければ意味がない、ということです。

わたしはリーゼを得ましたが、父が鬱病の娘の扱いを医者より自分のほうがわかっていると思い込み、そしていまも専門家に相談しないことに、変わりはありません。父は「もう絶対しない」と断言していますが、わたしのなかで、父のいままでの養育すべての集大成、最大限の思いやりの表現が強制わいせつになってしまっているわけなので、もう信頼はありません。母はいまでは徹底的に孤立した父のほうを憐れんで、やはり性的に触ったのはわたしのためだと繰り返すので、もう少し派遣社員をして貯金ができたら、生家を追われるしかないのかという気持ちです。