中学生のとき、漫画で稚児という言葉を初めて知りました。それについて貪るように検索し、稚児舞も見かけたのを覚えています。どの地域の行事だったのかいまとなってはわかりませんが、女性のような化粧をしたちいさな男の子が、紋付袴の男性の肩に担がれて舞台に向かうのです。「舞姫」の煌びやかな水干が、黒い着物の逞しい腕から零れているのが印象的でした。
どうしてこの話をするかというと、アラサーになってから、和装を描くようになって稚児舞を改めて検索してみたからです。そのとき、強い嫌悪感を感じました。稚児と年齢が遠くなったせいで、もう美しいとは感じられなかったのです。舞姫の男の子がやはり見た目で評価されることに慣れていないのか、顔つきも姿勢も自覚が足りなくて、不細工そのものです。
それから、筆者はツヤツヤした、髭の剃り跡すらない童顔の男性とデートすると吐き気がするようになりました。同い年でも若いなと思えば受け付けません。アイドルや俳優に関しても、自分より若い年齢のひとは、全員銀魂の鉄之助に見えるようになりました。
重症だなと思うのは、絵画や写真によくある、〈青空〉と〈学生〉もしくは〈新卒者〉の題材が、目にするだけでも不快になったことです。そのうち学パロを見かけ次第即ブロするような、二次創作に全然向いていない人間になってしまうのではないかと不安なほど、ロリショタが受け付けなくなりました。
これはどういうことでしょう。わたし自身腐向けを描くくせに、伝統ある稚児舞に対して、虐待だとでもいいたいみたいではありませんか。
そしてもしかしたら、文化を滅ぼそうとしているといわれるあの教育委員会や、いろいろな人権団体も、BLを知っているからこそ稚児舞に抵抗がある筆者のように、下ネタが好きなのではないか、というアイディアにも繋がっていきました。
「アバウトガールズ」のチャンネルで、有栖川さんというキャラクターが表現の規制に対し、「卑猥って思ってるアンタたちの脳が卑猥」という場面があります。
これは欧米で女性が「わたしの身体は卑猥ではない!性犯罪は加害者が悪い!」と、上半身裸で行進していることにも通じ、人権意識として鋭いです。
筆者は人権団体に知り合いがいるわけでないですが、怒りから活動していないということはわかります。世間が想像しているような、人権を憎しみの正当化と勘違いして、気に入らない作品の悪口を言うだけの者がいるなら、組織内でも信用されないはずで、まして外的に発言させてもらえるほどの地位にはならないでしょう。当たり前すぎることですが、人権団体も働きたくないのであり、面倒臭いと感じながら立場上物申したに過ぎません。
表現への抗議を呑むのかどうか、最終的には製作者側がじぶんたちで決めることですよね。
以前ネット記事で、オラフの声優が変わったことは、配給元か製作者の判断であり、外的圧力も本人の犯罪も関係がないので、前の声優に賠償請求はない、と読んだことがあります。本当なのか分かりませんが、「オカマのおねえさん」売間久里代に関しても、始めからトラブルを見越して、自分から「女装のおねえさん」に変更した可能性が高いのではないでしょうか。人権において大切なのは、自律を守ることなので、被害者面するものダメです。
