きょうもYouTubeでは、距離のある有名人へ、否定的なメッセージをする動画がアップされたり、それに対して、本人がアンサー動画を投稿したりしています
アンサー動画のコメントには、チャンネル登録者による、「関わっちゃいけない」「気にしないのがいちばん」という言葉が並んでいますよね
気にするかどうか、本人が決めることなので、わたしが投稿主だったら外野から知ったように言われるのはいちばん嫌だろうなと思います。だれでも、基本的にひとに親切にして生きてきましたよね。いまさら「嫌いなやつには関わるな」と言われても、どういうことなのかわからないです。拒絶とは、確かに、返事をしない、そのひとと私語をしたり遊んだりしない、ネット上でブロる、などのことかもしれません。けれどそうすると、相手はもっとつけあがりますよね。意図せずとも、押してダメなら引いてみろ、の「引いて」の状態になってしまいます。こちらへの関心がますます上がってしまうのです
みんな、「関わらない」とはどういうことなのか説明できないのに、口でだけ「関わるな」と言って、自分は大人だというふりをします。もっと具体的に、完璧な拒絶とはどんなことをしたらいいのでしょうか
この記事を書こうと思ったのは、前の職場に高橋くんという、20代前半の若い男の子がいて、その子が発達障害だったからです。ひとが最後まで言葉を言わなかったり、遠回しな返事や曖昧な返事をすると執拗に聞き返します
問題なのは、そうしたとき、男性にはしつこく質問するだけなのに対し、女性には大声でブチ切れるということです。普段は若い女性や美人に猫撫で声を出しているので、他者を性別でしか捉えない典型的女性蔑視であることがわかります。目を付けた美人に厳しく理想の乙女像を押しつけ、「ちゃんと返事してください!!」と怒鳴るので、わたしは親しくなりたくありませんでした
運良く、務め始めてからすぐに障害があることをパートさんたちから聞くことができ、わたしはこの子を変えようとしないぞ、お互い別の種族なんだ、と認識しようと誓いました
具体的に、実践したのは3つの方法でした
まず、敬語です。地元の知り合いばかりの家族ノリの職場でしたが、必ず敬語にしていました
そして、挨拶です。歳が近かったり寮生だったりすると、挨拶しないひと同士もいて羨ましかったですが、わたしは必ず他人行儀に、目を見て挨拶しました。挨拶のなかでも便利だったのは「ありがとうございます」です。「話は終わったぞ」という意味として使えるうえ、挨拶フェチの男性文句を言わせません
最後に、なにを言われても「はい」と返事することを徹底しました。高橋くんは、歳上に対して甘えていて、街で幼児が母親に「お母さん!もう帰るよ!」と叱るときのように上から目線の態度で、「返事は?」が口癖でした。なのでとにかく「はい」と言いました。わたしの学生時代の専門分野について、そうと知らず解説をされたときですら、「はい」しか言わないよう、常に冷静でありました。意外にも、ムキにならないことによって、かえってわたしの頭が悪いとされることはありませんでした
「お疲れ様です……はい……はい……はい……はい……ありがとうございます……はい……」
半年程の間、わたしがあまりに「はい」しか言わないので、高橋くんはついに謝罪しました。「俺の前では笑いませんね。もしかして怒鳴ったのがトラウマになっていますか?」
わたしはそのときすぐには思い出せなかったのですが、たまに一緒にシフトすることがあった、かなりおじいさんのベテラン社員がいて、そのひとは、言葉が終わって相手が返事をした後でも、優しく「ね? ね? ね?」と繰り返してしまう口癖がありました。前述の通り無視がなにより許せない高橋くんは、そのおじいさんに「しつこい」と言うのではなく、やはり女性のわたしにだけ「ちゃんと返事してください!!」と怒鳴り、感情的になったことがありました
いまならそのことだとわかるのですが、そのときは本当に怒鳴られたことに身に覚えがなかったです。なぜならわたしは腐女子でエロ漫画を描いています。男性とばかり遊んでいて連れている彼氏がいつも違います。そういうアラサーが、たかが子どものイラ立った声で心的外傷を負うわけがないのです
ただコテコテの腐女子に対して、心が清らかでちょっと臆病、というような乙女像を押しつけてくるのが気持ち悪かっただけでした。でもわたしは障害者のことを、上から目線だとか、気持ち悪いだとかではなく、ありのまま「そういうひと」だと考え直して、いつものように肯定しました。この場合「はい」では否定になってしまうので、「覚えていません」と答えたのです
なにも教えてあげないのが拒絶なんだ、とわたしは高橋くんが諦めて去るのを見送り、内心、勝利の雄叫びを上げながら思いました。それはいままでわたしに乙女を押しつけてきた父親、担任教師などへの勝利でもあり、それぞれのときのわたしの無念の、成仏でもあったのですから
拒絶とは、「嫌いだ」ということすら教えてあげないことなのです。「嫌いなひとと関わらない」ということの真髄は、物事を教えてあげないことにあります
わからないふりをする、というのもあるでしょう。例えば嫌いなひとに「セロテープどこ?」など、ほかの社員が知っていることを聞かれたら、知っていても「わからない」と言うのです。意地悪に思えるかもしれませんが、実際やってみると、逆に物事を教えまくっていたころの自分が、どれだけ偉そうだったかわかります。根拠のないことを吹聴しない姿勢でもあるので、研究職のなかには、既にこれを徹底しているひともいます
特に絵に関しては、無料で描いてもらえると思っているひとがとんでもなく多く、学生時代、学校行事の仕事すべてをやらされたという絵師のボヤキはネットに溢れています。きっぱり断り、それによって担任や上司が恥をかくとしても、自分がいなくても大人は大丈夫だ、と謙虚な姿勢を保つことです
「相手にしない」とは……
なにがあっても敬語
目を見て挨拶する
基本的に「はい」と肯定する
「わかりません」を貫く
大人に恥をかかせる