昆蟲のチヤンネルに、百足や毒蜘蛛などの奇蟲ばかり登場すると、「昆蟲チヤンネルに昆蟲がいない」というようなコメントがつくことがあります。面白くつつこみたかったのかもしれませんが、なんともしよつぱく、投稿者もいいねしません。
よく「勉強しろ」が口癖のひとがいるけれど、それはこうしたコメントが増えるだけなので、そんなことを云うのはやめてもらいたいなと感じました。
元々、オタクたちも「勉強しろ」といつて、わざと時代考証厨や着物警察のような〈正義感〉を増やしたかつたわけではなかったでしよう。學者のひとでも、非効率なことを、道徳という偏見なしに行わなければならない職種ですから、やはり正しいよりユーモアのほうが重要ではないでしようか。ユーモアという文化の根底を知らないで、ただ正義感から論文の間違いを指摘したところで、「それは本筋に關係ありません」と、不思議ちやん扱いを受けるのがおちです。世間話もすべて揚げ足取りになつていると、誰から爪弾きにされます。
「勉強しろ」のほかに、なにか言い方がないものでしようか。
先月、暗に表紙を描かせてくださつたヒストリア系のラノベ作家の作品を見ていると、そのひとつに、「ガチの歴オタとしては気になったのですが、王様が現役で政治をしているのは共和國の定義から外れます」という、しよつぱいコメントが来ているのを見かけました。
その作品は、それぞれ君主のいるふたつの國同士が同盟した連邦が舞臺でした。ヘタリアを讀んでいないひとにはつまらない話で済みませんが、わたくしはこの設定だけで、作家が、中世のリトアニアとポーランドの固い絆に萌えていることが、痛いほどわかつたのです。この隠されたボーイズラブのほうが氣になって、現代的共和國の定義は考えませんでした。
そのしよつぱいコメントに對し、作家はリトアニア・ポーランド共和國に君主がいたことを丁寧な態度で解説し、今後も訂正しないとの旨を返信していました。ガチの歴オタを名乗つてはいても、ただの優等生です。オタクというにはあまりにも勉强ばかりして、肝心のキヤラ萌えや性慾といつたものがそこに無いのです。
勿論ヘタリアを讀んでいないのは惡いことではなく、勉強する、という気持ちで讀んで萌えないのなら仕方がありません。わたくしはやはり「勉強しろ」とは言わないようにしよう、と決意を新たにしました。
必要なのは、「ひとりでニヤつとすること」だけです。これは、決して自分より繪のうまい、もしくは小説の伸びている若い女性をばかにしろ、ということではなく、お前もイケメンが好きだろ? と共犯意識を持つて居ればいいのです。
蟲に話を戻しますが、わたくしは、確かにみなさんに、必ずしもGと共通している譯ではない蟲たちの生態を実感していただけたら、それがいちばんですが、とはいえ昆蟲の定義や節足動物の分類を勉強してほしい譯ではないのです。
例えば春先に、普段静かなひとが興奮して蝶の標本の話をしていたら、いまはかたくりの季節だし、蝶の標本といえばどの博物館にも岐阜蝶がたくさんあるものだから、このひとも岐阜蝶を捕まえることができたのかな、となんとなくわかれば、會話についていつたり、円滑になるよう相槌が可能になります。それは蝶に詳しくてもわからないことです。蝶は綺麗だな、だとか、昆蟲博士に笑つてほしいな、とある程度感情的になるからこそ、できることです。
知識量よりも、話していて面白い人間になることが重要なので、もし「勉強しろ」と言われても、それはそのひとがほかに云い方を知らぬだけで、實のところ「ユーモアがない」と言われたのだと置き換えたほうがよいです。
いまは、話しやすいひとになるには善い時代だと思います。というのも、YouTubeで知らない分野のオタクの、リアルなすがたを目にするからです。そこからコラボの相手のチヤンネルも観て、共通するゲームや漫画の遍歴があれば、会つたことのないひとたちの人間性が生々しくわかります。
そのひとたちのことを「好き」になれたら、あとは生配信などで知つたかぶりして駄弁り、通用するかどうか確かめることさえできるのです。チヤツトを読み上げてもらえたときの喜びがあるのでオタクはやめられません。