蟲が大の苦手だつたのに、鎌倉に越してきて1ヶ月、大量の幼虫も含めると、飼つている蟲たちは60頭以上に膨れ上がりました。
Lamprima adlphinae 、新たに購入した Lamprima aurata とSpodistes grandis 、採集した青銅鉦、白點花潜、そして甲蟲などを育てています。
さて、優しいひとになりたいとき、蟲はほんとうに良い趣味だなと思います。
なぜなら、ポジテイブを競い合う戦争が、そこに昆蟲採取している人物がひとりいるだけで、予防されるのです。
蟲といえば、図書館や書店では、棚のすぐ上の段などに恐龍の本がありますよね。テイラノサウルスの Tyranno- とは「専制君主」という意味の羅甸語ですが、恐龍の話題は、米國のように自分こそ世界一だとする宣戦布告となります。だれでも自分がもつとも恐龍に詳しいと言い張り、その部屋からは人間らしさが一切消え失せてしまいます。でも蟲のこととなると、ひとびとはなんと、どこかに専門家がいるはずだと譲り合うではありませんか。同じ男の子向けの分野であるにもかかわらず、蟲に詳しいことは必ずしも専制君主制を表さないので、これはわたくしにとつてかけがえないことでした。
もちろん恐龍でなくとも、科学の諸分野に黒人研究者がいないのは間違いなく、蟲もまた例外ではないのは忸怩たる思いです。
恐龍同様、甲蟲や鍬形蟲のように、蟲が専制的なものになってしまうことは十分あります。大きさ、數、値段を誇示し、「クワカブ」をまるで高級車のように捉える男性はありふれたものです。
それでもわたくしが花潜の話をすれば、クワカブの話をしていた男性たちは出鼻を挫かれ、しよげかえります。女がひ弱な蟲の話をしたからか、或いは本物のキモオタだと気付いたのか、いずれにせよわたくしが力や正義とはまつたく次元の違う思考をしていて、拍子抜けするのだと思います。
女性にとつて、競うべきは力だけではありません。性格の明るさ、自分のことが大好きで幸せであること、スケジユールの忙しさなどもまた正しさです。しかし蟲が好きだと弱味を曝け出す女性がひとりいれば、それらは価値をもたなくなり、わたしがいちばん明るいのよ!という聖戦はその職場や家庭から末永く消滅します。
最後に、これは男装しろというわけではありません。あなたが桜蘭高校の初期のハルヒのようにもっさりとした格好で蟲のことだけ考えていれば、同じように戦争が防げるかというと、それは女性の正しさの次元のなかで下位であるというだけで、火種です。
正しさは効率ともいえます。しかし趣味やおしやれは非効率で、なににもなりません。おしやれは昆蟲採取と同じく戦争をする気がないことを表すわけなのです。ですから、女性はかえつて華やかにしたほうが、プライドの高くないことを表すことができます。
ここではビジネスのタイトスカートやパンツ、トレンチコートはマナー違反です。なぜならそれらは喪女のスウエツトとおなじく機能的で、効率が良いからです。お洒落とは違うものです。