隣人愛

きようお話しすることは、不思議なできごとというほどでもないのですが、夏、わたくしは黄金蟲を見つけ次第、摘んで飼育ケースに入れていました。

黄金蟲には奇妙な點があります。鍬形も、甲蟲も、金蚉も、粉吹黄金も、屍骸はきれいです。しかし黄金蟲:青銅鉦だけはきまつて壁蝨に食べられてしまうのです。黄金蟲が2頭歿んでいることに氣づいたころには、ケースの中には壁蝨が縦横に走り回つて、ほかの生きている黄金蟲の腹にも、無数の卵を産みつけてさえいました。なぜ黄金蟲だけが壁蝨に好まれるのか、答えをくれる書籍やネツト上のページはありません。




わたくしは壁蝨からほかの昆蟲を守るため、黄金蟲たちを天神山に歸してやるしかありませんでした。その後ケースに殺蟲剤をかけ、しばらくおいてから2囘ほど念入りに洗つたので、わたくしはそこに甲蟲を入れてみました。壁蝨はいなかったものの、甲蟲の足取りがぎくしやくして、数日後に完全に動かなくなりました。關節がおかしくなるのは、その殺蟲剤の効果の特徴です。

また洗剤で洗い、もう大丈夫だろうと別の甲蟲を入れると、やはりぎくしやくとなって、死んでしまいました。かぶと蟲が爪先も動かさなくなったのを確認した夜、なぜかわたくしは紙とペンを用意しており、氣がつくと「澤本さん、幸せになつてください」と意味不明な文章を記していました。それが2頭の甲蟲の歿を無駄にしないための行為であるかのように、紙をケースに入れました。














澤本さんというのは、隣に住む中年男性です。9月に一度、此方を怒鳴つてきたことがありました。

その日わたしは玄關をほうきで掃こうと思い、ドアクローザーのストツパーがはたらく90度くらいまで扉を開いたのですが、隣人はそのカチツというちいさな音に反応して、びつくり箱のようにドタつと自身の部屋から出て來ました。

「じやかしいわ!!なんなんだいつもいつも……」

通路はトンネルのようになっていて、そのようなところでおとなの怒号を浴びた恐怖は凄いものでした。

しかしわたしもまた、玄關ドアがそのトンネルでいかに轟音を立てるか、配慮に欠けていたようです。意趣返しをされ、十分にしよげかえっていたのに、その後出かけるときには別の恐怖が待つていました。隣人の玄關のドアガードが立てられて、烟草の換氣がされているではありませんか。

すこし隙間が開いたびつくり箱の前を通る恐怖をお察しください。

ミニテツクに打ち明けることにしたところ、親切なスタツフは「迷わず警察です!」とわたしを励ましました。「その方に換氣をやめさせることはできませんが、身に迫る恐怖を感じたら警察へ、日常的な騒音でしたらわたしどもへご相談ください」

隣人は通路の入り口の辺りで烟草を吸つていることもあり、もし出入りしたいときにそれを見かけたら、確かにわたくしは警察を呼ぶしか仕方ないでしよう。















表札に「澤本」とあつただけでフルネームは不詳です。しかしその紙を書いて例のケースに入れた翌日、ある吉報が投函されました。それは、巡囘した時烟草臭かつたので、喫煙時に玄關を換気しないようにとの、ミニテツクからの注意勧告でした。

換気はやめさせられないはず! わたくしはミニテツクにびっくり箱の隙間が煙草臭かったことは言わなかつたのです。しかし通路を禁煙としていたミニテツクは煙草の臭いがした今度こそ、動いてくれたのでしょう。

甲蟲のように歿んではくれなかつたのですが、少なくとも隣人がちょつと玄關を開けておくことも、通路をうろつくことも、もうないようですね!




「幸せになつてください」と書いたのは、呪いをかける言い譯でした。ですが、隣人が幸せになつてよいマンシヨンへ引つ越そうと、または不幸せになつてこの4万円台の暗いパートにさえいられなくなろうと、赤の他人にとってはおなじだから、という理由もあります。そして今囘のことで烟草のマナーがよくなることは、隣人にとつて幸せではないでしようか。

殺蟲剤をかけたケースで昆蟲がつきづき歿ぬのも、通路に烟草の臭いを充満させていた隣人が注意されるのも、論理が通つていて、不思議なことではありません。ただ願い亊のやり方はあまりにも個人的問題すぎて、なかなかじぶんに合うやり方が見つけられず、偶然を待つほかないかもしれないということです。