神奈川縣に引つ越してみて、まだ鎌倉と小田原にしか足を踏み入れていないのですが、そこでわたしはひとびとが、北条氏や源氏の話をせず、古民家の蕎麦屋などに入りたがらないことに、氣づいていました。
わたしは骨董を集める亭主よりは、それを迷惑がる奥さんのほうが歴史や學問を理解している、と感じていたので、神奈川縣民のこの様な態度には、かえつて科學の姿勢を見て取り、そして歴史を好きな人間がどれだけ差別的か、見せつけられる様です。
箱根の山には、星の王子さまミユージアムと云うちいさな佛蘭西があつて、多くの縣民が寫眞を撮つていました。一方で小田原に下りると、縣民は昭和の木造建築とは寫眞を撮らず、わたくしの目的地である、済生堂小西藥局本店のまえで立ち止まる者は居ませんでした。
店主が出てきて、わたくしは解説を独り占めすることゝ為りました。
この済生堂藥局は、東海道すなわちいまの国道1号線で300年以上、藥種屋を営んできたそうです。
創業は寛永十年で、關東大震災では一度は全壞したものの、元々の建物を建設した大工がまだ現役で、倒れたものをまた元に持ち上げることができました。店主は、「だからまた地震が来たら崩れる」と笑いましたが、矢張り關東大震災當時、火事に巻き込まれなかつた建築はなかなかありません。
済生堂藥局は現在、処方箋を受け付けて調剤している譯ではなく、本質的には生涯學習施設のようです。ミユージアムシヨツプそのものを博物館としている様なかたちで、 保存食、健康茶、藥局オリジナルのトートバツグなど、輕めのグツズが置かれて居ます。
それでも歴史的建築や博物館などと云うには、あまりにも、そこにただ生活感いつぱいの様子で営業して居るのです。江戸や近代を再現しようと意図されて居ないのは、店先にコンドームの自販機があると云えば傳わるでしようか。
天井のほうを見上げると、きよう上映する映画だとでも謂わんばかりに、製藥會社のネオンが、店内全體をぐるりと囲むように並んで、此方を見下ろしていました。
米國では1920年の禁酒法を受け、アイスクリーム・ソーダやサンデーが大流行したと聞きます。炭酸飲料とアイスクリームとは、どちらも藥とされていたので、藥局がそれらを提供し、飲食店となつて臺頭したそうです。済生堂に措いてわたくしは、藥局と云うのはやはり商人が営むものなので、病院とまつたく趣が異なり、いまもむかしも歓楽的に華やいだものなのだと知りました。
店主に「歴史はお好きですか」と聞かれ、わたくしは恥じました。歴史の権威なんて、ここでは捨て去るべきではありませんか。
神奈川縣にも、稀に歴史をありがたがる人間は存在します。
夏、鶴岡八幡宮の骨董市で、暗は矢立を探していました。アニメではよく絵描きが竹の矢立を使っているけれど、現実には錫や鉛でできたものばかりが売られて居り、とても持ち歩けそうになかつたからです。その骨董屋のブースにも、やはり非常に重い矢立しかなくて、落胆していると、後ろから店主が「なんに使うものかわからなかつたら聞いてくださいね」とわたくしの背に怒鳴るではありませんか。女はお呼びでないことがわかつたので、立ち去りました。欲に目が眩んだ店主は、「使う」というけれど、市場の粗凡ての矢立は腰に提げる物ではなく、置物でしよう。
大學でもこの様な態度のひと許りだつたなと思います。研究者はいつもひとりぼつちで博物館に通い、友だちがいないと嘆くけれど、友だちを作るには勝ちに行くのではなく、無欲である必要があります。
「歴史が好きですか」とだれかに言われたとき、わたしは「勝ちたいですか」と言われたかのようで、「いいえまさか」と叫びたくなります。歴史は殊更好きになるものではなく、いまの人びとのこころに住み着いて居て、どちらかと云うと骨董や和室、着物を避けさせて居る、ありのままの傾向のことです。