一括りと贔屓

魚沼市の堀之内にある「花と緑と雪の里公園」では、5月頃に地平線いつぱいの芝桜の絨毯を見ることができるのですが、看板の矢印と逆のほうへ進むと、とんぼ池というスポツトがあります。

春にそこを訪れたとき、雨黽とは波形が違うものが泳いでいたので、近寄つてきたものを掬い上げてみると、やはり其れは極小の源五郎といつた外観をしているのでした。

いま手の中に、絶滅危惧種がいるということへの驚嘆が、蟲への厭惡や恐怖を中和しました。それまで自分から蟲を手に載せてみたことなど一度もなかつたのですが、人文學なりに、縄文のころから、我々の祖先も水澄を見ていたのだという稀跡を、感じることはできたのです。

その水澄を放してやると、まるでシヨーを待ち侘びる海豚のように忙しなく泳ぎだしました。源五郎の仲間はとても機嫌良さそうに泳ぎます。この出逢いはのちに、蟲を恐がつていたわたくしに、初めて鍬形蟲を飼う勇氣を與て呉れました。
















さて、鍬形を飼つてみた後の暗は大躍進で、自然にいる甲蟲や黄金蟲、花潜りなどを捕まえ、産卵までしてもらいました。一氣に蟲への抵抗がなくなつて、わかつてきたのですが、差別とは、その漢字の通りに線引きや分類のことだとするとわかりづらいですね。〈線引き〉のことは、わたくしは差別よりは「贔屓」と呼稱するものです。

差別とは、〈一括り〉にすることです。蟲をすべてGと同じと思い、その子自身として見ないことを云います。

以下は、子どものころ昆蟲を飼つていた諸姉にとつてはあまりに當たり前のことですが、Gの特徴と、ほかの昆蟲とを比べてみたいと思います。




まずGはプラスチツクの壁をも登るのが特徴です。蟲が苦手なひとにとつては、予測不能の能力で、管理できないものに恐怖を感じるという面があるでしよう。逆を云えば、ほかの蟲でプラスチツクを登れるものは珍しいです。ケースをよじ登つて脱走することは、雄の鍬形やかぶと蟲がいるのに、高く水苔などを天井まで盛りすきだときくらいで、特にそれらの雌や、顎、乃而角の長くない蟲などは、なかなか脱走できないのです。



つぎに、Gは動きが素早いです。殆ど上下運動なしに、百足などに似た這い囘る動きをします。退治の途中で逃げられるとなかなか見つけられず、先程のプラスチツクを登る特徴と同様、管理できない生物に對する恐怖を煽るのです。然し、ほかの蟲にそこまで歩くことが得意な種類がいるでしようか。蟷螂や七節などはフラフラ歩み、かぶと蟲と鍬形蟲は、ヨタヨタと大きく上下左右に揺れます。木肌でない處は苦手のようです。



3つめに、Gは触覚の長い種類が多いです。Gだけでなく、蟋蟀などの一部の蟲の長い触覚は、ぞわぞわ蠢いているという表現が相応しく、恐怖を煽ります。而し蟷螂や蝶は触覚が短く、甲蟲類に至ってはみな先の丸い愛嬌のある触覚をしていることを思い出してください。とりわけ、花潜りが前肢で触覚を撫でているのを見るのは、胸締め付けられるようです。



4つめに、Gは顏がよくわかりません。俯いていて粗完全に前胸部の鎧の下に隠れてしまつています。ペツトとして人気の犬猫などは、みな眼が美しく、感情移入がしやすいのですが、Gはどこに眼があるかさえわかりにくいのです。ですが海老や蜘蛛を含め、ほかの節足動物には円な眼をしたものがいますよね。特に蜻蛉と蛾の眼が人気なのはご存知の通りで、視線が合うことは、哺乳類と系統上遠い生き物の不氣味さを緩和しています。





蟲好きなひとの殆どが、Gだけは苦手であるという事實は、蟲嫌いのひとがそれを克服したいとき、可也ハードルを下げてくれることでしよう。蟲という括りが解消され、多様な仕草、顏立ちが見えてきます。

差別の仕組みがわかつたら、GのこともGという括りがなくなり、その子自身として見ることができるかもしれません。Gを克服したいときは、壁を登ることができず、歩みが鈍く、触角が短い種類をまず選んで飼つてみると吉だということになります。残念ながら、眼が円な種類はいません。

暖かくなつたら、暗はドミノローチというGを飼つてみようと思うので、何れ寫眞をアツプしてみます。