耽美







ワイルドやボードレール、サド侯爵などをはじめとする耽美派文學には、美少年に同性が夢中になる物語が目立ち、萩尾先生、魔夜先生などの世代は其らを愛讀していたようです。幼児性愛や近親相姦、畸形、藥物などの異形若しくは破滅を描く「耽美系」と呼ばれる漫畫群に、我々の祖先を見出せます。

いまでも野郎フエスに参加する男性達は、ゲイ向けに對し、女性向け同人誌を「耽美系」と呼稱することがあります。とはいえ腐女子本人達は、ボーイズラブとちがつて、耽美系はバドエンで、繪が怖いといつたふうに認識しているでしよう。

耽美系は、同性愛が病氣、犯罪とされていた頃の黑歴史として語られ、オネエタレントが現れた80年代くらいからは、時代と共にボーイズラブと交代したとされます。先述の偉大な耽美系少女漫畫家たちは、いまでは「ボーイズラブ」と呼ばれることに違和感をもちません。





ここ数年、暗は山岸凉子先生の真似をした繪を投稿すると、「お耽美」とエアプされるようになりました。そして、耽美系はゲイが迫害されていた時代を表す、と差別されていることが、當事者として辛く思えてきました。

耽美系はゲイの中世なのでしようか。ここに辯明させていただけるならば、同性愛というより、「美女と見紛うほどの」少年愛なので、耽美系はゲイには關係がありません。少年に欲情するのは異性愛者なのです。耽美系はゲイを後ろ暗いものと捉えているのではありません。

耽美系を愛讀し、また自身で怖い繪を描いていると、男性同士の恋愛を悲劇的としないボーイズラブ作品には、まるで文化の温泉に浸かるような幸福を感じます。その湯煙は、スポーツや特撮、お笑いなどの世界に、ごく當たり前に立ち込めているものと同一です。外見の良い男性が主役とは限らず、また、女性の裸より、憧れの上司や頼もしい相棒の物語なので、教育によいです。そんなボーイズラブが大好きなのに、暗が仄暗い耽美系を描くのは、ゲイが少しも珍しくないからなのです。