キリンジの『Drifter』という曲を聽くと、此れが本當はズーイがフラニーに傳えたかつた亊ではないか、と思えることがあります。神學論争が長すぎて鬱陶しいときは、この一曲を聽くだけで良いのです。そして暗が店全體を通じて傳えたいことでもあります。あなたがいる限り、とは「太つたおばさん」のことです。
さて、わたくしは未だ、個人としての名刺がありません。シンボルマークを考えてからにしようと予定していたのですが、マークはできませんでした。
下の畫像のうち、罌粟のマークはまだTシャツなど作る氣だつた頃、氣管支のマークはロツクは無しにすると決めた頃のものです。そして人物の繪は、名刺もシヨツプカードも結局いつもの自作繪でいいかと、きのう諦めて作りました。
わたくしの好きな店にはみな、決まつたマークはないので、なくても大丈夫でしよう。
あの慾望の塊のような内装業者に會つてから知つたことですが、マークのことを「ロゴ」と呼ぶようなひとのことは警戒したほうがよく、男女ともに『可愛くてごめん』という曲のような生き様を、本氣にしてしまつたタイプと云えます。何故そんなに自己中であろうとする乎と云えば、繪を描くことが出來ないからであつて、繪師がロゴデザインをやるとは、誰が誰を目指して居るのだと云う話です。
内装業者とコメダで話していると、隣の席の少年が「デブのオヤジが居るー!」と叫びました。だからわたくしは繪だけでやりましよう。
別の業者にリフオームを頼むことにしたとはいえ、古本屋、骨董屋はいつも慾望の海原に有ることに變わりありません。古書とアンテイークは、ともすればステイタスになることができるからです。醫師または法律家になれず、歴史と宗教で妥協した懐古厨ばかりが来店する危険があります。然し灯りを点し續けるのです。