物件が引渡され、寫眞を撮ることが出来ました。
その際、小さなことですが問題が發生したようでした。前のテナントのレンタル着物のお店が、これから片付けるといつた様子で大きな棚やテーブルを、ビルの出入り口付近に固めて居たのです。オーナーの會社の専務がそれをぺしん!と叩き、強めに「共用スペースなんだから!」と叱責しました。スタツフは「はーい。きよう片付けまあす」となぜか宥める様子です。契約期間が終わる日迄に片付けておかなかつたのだから、我儘なお年寄りは自分のほうなのに。矢張り、それまでも不破があつたのでレンタル着物は縮小したのかもしれません。
物件のことを考えると、思い出すことがあります。それは伏見地下街にあつた「ビブリオマニア」という古書店のことです。この古い地下街はアングラの聖地でしたが、芸術祭で塗り替えられてから飲食店が入居しました。東山線の伏見駅改札に直通する地下街なのに、立ち飲み屋が通路に席を置いて試飲のサービスを始めてしまい、古書店は抗議して居たのですが、暗が大學生のとき終に移転を決意し、聖地は實質陥落したのです。
古書店を善人とは思えません。ひとをオタクたらしめるものは好奇心で、本来道徳にそぐうものではないからです。實際、古書店はMIXバーでイベントをしていたのですから、通路を塞ぐ立ち飲み屋に容赦しなかつたのは、無粋な正義感からではありません。暗が思うに、立ち飲み屋はゲームを理解していなかつたのです。
SFライターの金子隆一先生は著書で、他人に稀少な資料を返してもらえなかつたり、壞されたりしたことがなん度あつたか、と嘆いていました。そこから、オタクとは専門知識を惜しまず提供してしまう者とし、くれくれちやんをその對義語としました。でも、それではオタクとくれくれは表裏一体の同じものとなつてしまいますよね。
好奇心と知識量とは違います。知識の無償の提供は、自慢や、嫌われたくないということなので、先生の云うほど無慾なことではないでしよう。また、ルール違反を容赦するのはくれくれを加害者としてしまい、爲になりません。
ある意味で、ビブリオマニアは立ち飲み屋を、真摯にゲームに誘つていた、と云えるのです。
内装のイメージです。古めかしくするには、さらに天井の羽目板などが必要かもしれません。